法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

映画『この世界の片隅に』を加点と減点で評価したところ、だいたい映画『鬼郷』と同じくらいになった

戦時下の呉に嫁いだ女性を描いた作品と、慰安婦にされた女性の半生を描いた作品、それぞれの感想は別個に感想を書くとして……
この世界の片隅に【映画】
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創作物を点数評価することには語弊があるとも思いつつ、とっかかりとして感じた類似性をまとめておく。


まず、同時代を無力な女性の視点で描いているからといって何もかも同じはずはない。加点と減点の合計が同じくらいになるということは、長所と短所の種類が同じという意味ではない。
たとえば『この世界の片隅に』は原作の要素を削り隠しすぎて終盤で説明不足になり、『鬼郷』は広い視野で多くの問題を描こうとしてまとまりを欠いていた*1
しかし、それぞれの加点と減点をすると、物語として点数をつけるなら同じくらいの印象になってしまう。まとめるための犠牲と、犠牲となったまとまりと。
そうした違いもありながら、ふしぎと似ていると感じてしまう部分が複数ある。


その似ている部分とは、クラウドファンディングを活用した制作や、それを見どころにとりこんだエンドクレジットや、ほぼ同じ上映時間といった外形だけではない。
主人公の人物像を小さなエピソードのつらなりでかたちづくる構成や、主人公が悲惨な環境を前向きに生きていく語り口といった共通点がわかりやすい。
細かな史実をくみあわせて特異な体験を成立させたフィクション性や、悲惨な体験に時を超えた虚構で救いを与えるメタフィクション性も重なる。
再現された生活そのものへの興味をそそらせる物語でいながら、戦闘も迫真的な娯楽性として配置されているところも通じる。
それぞれの主人公が救われる直前にかかえた意識も同じだ。くわしく書くと内容にふれざるをえないので、それは個別の感想でいずれまとめることとするが。


そして両作品に疑問を感じたところとして、女性を主人公に選びつつ、結末で救いを描いたことがある。
戦争を題材にした物語が、弱き個人の救済に収束することは、葛藤の矮小化であり、自己犠牲の一種であるといっていい。ここはかなり古典的な戦争映画の枠組みにとどまっている。そもそも先述の、救われる直前にかかえた問題意識自体が、戦争映画の一類型である。
この世界の片隅に』においては、救う範囲を小さくすることで直前に広げた視野が失われてしまった。『鬼郷』は救う範囲が広すぎて、作品自体が一部の女性に負担をしいた慰安所制度に近づいてしまった。ここでも加点と減点をすると、同じくらいの点数になってしまう。
ただ両作品に限らず、戦争を題材にした作品に限らず、現実を抽象化して物語にすることの根源にかかわる問題ではある。両作品がそれぞれの意図と事情で救いを最後に配置したのも理解する。主人公の安易な聖女化を回避しようとした努力もうかがえる。それでも、その救いの描写で良かったのかという疑問は残った。

*1:実際は『鬼郷』を先に見た。その感想として視野が広いことが必ずしも物語の良さにつながらないと思ったがために、『この世界の片隅に』の不足も劇映画をまとめる選択として許容できたという順序になる。