法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『TOMORROW 明日』

1945年、8月8日の長崎。そこでは子供たちが遊び、結婚式がとりおこなわれ、出産をひかえた妊婦が家事を手伝っていた……


1988年に公開された黒木和雄監督作品。長崎の人々を点描する小説を原作として、原爆の存在を浮かびあがらせる。
TOMORROW 明日の予告編・動画「黒木和雄監督戦争レクイエム4部作上映2015 予告編」 - 映画.com
この作品の特色は、画面にいっさい戦闘や破壊を映していないこと。当時の日本を生きていた一般の生活を淡々と描いて、それを原爆が断ち切った後は観客の想像にたくしている。
機銃掃射があったことや、広島に新型爆弾が落ちたことは、切迫感もなく日常会話にのぼるだけ。原爆投下すら都市に閃光が走る一瞬と、記録映像のキノコ雲で処理される。
つまり下記ツイートのような方向性で『この世界の片隅に』を特別視する主張は、先行作品の原爆描写とその評価を踏まえていない的外れなものだ。

知られざる映画というわけでもない。公開年のキネマ旬報ベストテンでは『となりのトトロ』につづく2位を獲得した。もちろん6位の『火垂るの墓』より上位である。
キネマ旬報 ベスト・テン|KINENOTE


念のため、原爆投下による被害を一方的に訴えるほど単純な作品でもない。あくまで当時の平均的な日本人の視点で描かれつつ、その視野の端々には多様な人々が映りこむ。
収容所につとめる青年は、食糧を確保しようと奔走するものの、失敗して米軍捕虜を餓死させてしまう。徴用後の強制労働から逃げてきた朝鮮人たちは、食糧をわけてほしいと一般人にたのむが、すげなく断られる*1。日本人同士でも、結婚式のために妊婦もふくめて女性だけ働かされるという、いかにも家父長制な光景が展開される。
これは罪のない日本人が大量虐殺されたという物語ではなく、無差別に人間が大量死したという物語なのだ。怒りの矛先を米軍に向けることはないし、そうすることはできない。


ただ、歴史を再現する映画としての面白味は弱い。路面電車を動かしたりはしているものの、短い距離だけ。他に長崎らしさは坂の多さくらいで、良くも悪くも現代の日常風景と変わりばえがしない。現代とつながった過去として長崎を描きたい意図はわかるが、過去らしい情景を強調しておかないと、最後に閃光が走る長崎が現代のそれになっている衝撃が薄められてしまう。
来たるべき死に対比する生のモチーフとして、性的な描写が多用されていることにも、邦画の悪癖と感じて鼻白んでしまった。妊娠や娼婦のあつかいが粘っこく暑苦しくて、家父長制批判の要素を弱めてしまった感すらある。木登りしていて性器が固くなってしまった男児たちで始まる冒頭は笑えたから、同じように性愛は俯瞰で見せてほしかった。

*1:DVDのオーディオコメンタリーによると、監督が発案して原作者と話しあって生まれた映画オリジナルシーンだという。