法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

映画『軍艦島』が韓国で公開されたからと、さまざまな報道が動いているけれど、批評のたぐいを見かけない件

きちんと映画としてのレビューもする気のない記事は手抜きでは?と思わざるをえないし、そんな記事しか見かけない。
私自身も日本の歴史学的な知見を紹介するエントリを書いてきたが、同時に映画としても興味があることを表明してきた。
韓国映画『軍艦島』を利用した歴史の否定がおこなわれつつある - 法華狼の日記

予告を見るだけでも、少なくとも映像はさすがに現代の韓国映画らしい力を感じた。春川市に約6000平方mという広大なセットを作った情景のスケール感もなかなかだし*2、薄汚れた炭坑内の圧迫感をきちんと表現した撮影技術もすばらしい。

映画『軍艦島』の最新予告を見ると、反乱映画としての出来は良さそう - 法華狼の日記

開始33秒の描写を見ると、当時としては近代的な集合住宅があったことや、そこで労働者の立場が階層的にわけられていたことも視覚的にわかる。

ここ最近、実際に見なければ批判する資格はないという反論を見かけたことが何度もある。限られた情報にもとづいて批判することも許される範囲はあると思うが、それなりに正しい反論とも考える。しかし、この『軍艦島』への批判に対しては同じような反論を見かけない。


たとえばNHKは観客の声までつたえており、取材者が映画を鑑賞することも可能だったはずだが、自身でレビューした記事が見当たらない。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170726/k10011074951000.html

このうち20代の女性は「映画を見て胸が痛くなった。軍艦島で起きたことについてまだ明らかになっていないこともあると思う」と話していました。
また、50代の男性は「韓国人としてこれまで深く考えていなかったことを考えさせられた。被害者の心の痛みはなくならないが、日本政府からの十分な謝罪が必要だ」と話していました。

また、「真実の歴史を追究する島民の会」による抗議の意図を伝えているが、徴用工が極端に虐げられたことが史実という指摘を忘れている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170726/k10011075261000.html

軍艦島の元島民の有志で作る「真実の歴史を追究する島民の会」は、映画の中で徴用工が極度に虐げられるなどの描写が、実際の島の暮らしとは異なり、例えフィクションだとしても、誤った歴史認識を伝えるおそれがあるなどとして、近くこの映画に対して抗議する声明を出すことになりました。

また元島民の証言を集め、インターネット上で公開する準備も進めているということです。

たとえばNHK自身による証言者を記録する活動「戦争証言アーカイブス」では、同時代の筑豊炭田における朝鮮出身炭鉱夫の苦難を記録している。
イ・ウンシクさん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス
チェ・オナムさん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス
日本人の未成年炭鉱夫だった証言者も、近隣の炭鉱における朝鮮出身炭鉱夫の苦難について、伝聞や目撃を証言している。
深田 糺さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス

だから、やっぱりちょいちょい逃亡者が出て、それが捕まったとかっちゅうような話はちょこちょこ聞いたことありますもんね。それで、やっぱり過酷な労働を強いられとったんじゃないですかね。

樋口炭鉱の事務所の前で手錠をかけられて、直接乱打されるっちゅうようなことじゃなかったですけどね、手錠をかけられて庭先に転がされとったちゅうのは見たことありますよね。

もちろん元島民の証言は何であれ、それはそれで貴重な資料となる。しかし自身の環境が良かったと証言しても、それは日本人炭鉱夫が見た範囲がそうだったという情報にとどまる。一般的に炭鉱労働がきわめて過酷だったことや、植民地出身者や敵国の捕虜はいっそう苦難をしいられたという歴史を簡単にくつがえせるわけではない。


産経新聞も「歴史戦」と題するキャンペーンのひとつとして、半年前から元島民団体による抗議の意図をつたえていた。
【歴史戦】「軍艦島は地獄島…」韓国映画・絵本が強制徴用の少年炭鉱員を捏造 憤る元島民たち「嘘を暴く」(5/5ページ) - 産経ニュース

 真実を伝えるには、端島で生まれ育った自分たちが口を開くしかない。こうした思いに突き動かされた元島民たちは「真実の歴史を追求する端島島民の会」を1月23日に設立した。

 当時のことを記憶する元島民たちの証言を動画で記録するなどして、後世に「正しい端島の歴史」を伝える考えだ。

この島民は、従軍慰安婦問題において日本が事なかれ主義できたという誤認も語っている。実際は国内外で否認しようとしては、その史実性と価値観の誤りを指摘されて折れることをくりかえしただけだったのに。

「日本は事実を明確にして反論しなければいけない。慰安婦問題もそうだが、日本は事なかれ主義できたが、もう少し毅然と事実を明らかにして言うべきことは言うという姿勢で臨んでいきたい」

そもそも産経新聞は、従軍慰安婦問題において証言は証拠にならないという立場ではなかったのか。過去の日本社会を免罪する証言だけは証拠になるという立場なのだろうか。


あきれたのは公開少し前の朝日新聞の記事だ。よりによって完成記者会見で「事実とどれくらい近いのか」*1と質問した記者が自己弁護していた。
http://www.asahi.com/articles/ASK6Z4WNMK6ZUHBI00R.html

最初の質問者に指名された。「映画は何%が史実なのか、日韓関係に影響を与えるか」と尋ねた。3年前、軍艦島で戦時中に過酷な労働を強いられた朝鮮半島出身の元労働者を取材したことがあるが、独立軍の助けで集団脱走するという映画の骨格の話は聞いたことがなかったからだ。

 柳昇完(ユスンワン)監督は「その時代を取材し、ありそうなことを考えて作った。本質的には人間と戦争の物語だ」と語った。誠実な印象を受けた。

この記者は2015年に軍艦島にまつわる取材記事を発表した人物ではある*2。しかし劇映画に対して史実との距離をパーセンテージで問おうとする発想は、映画の取材とは思えない。
もちろん映画がどの事実を反映して、どこで空想を展開していったかも重要な情報だ。あえて虚構という表現を選んで何を描こうとしたかを読みとる手がかりになる。しかしドキュメンタリーであれ史実そのままを描けるわけではないし、映画の根拠にした資料からして史実をそのまま伝えているとは限らない。史実と根拠の違いや、映画という媒体の特性を考えて質問してほしい。
さらにいえば、史実さえ描けば日韓関係に影響を与えないとか、フィクションであれば必ず日韓関係に影響を与えるというものではあるまい。歴史的な根拠がある描写でも、どこを抽出するかによって制作者の意図がくわわり、作品に反映されていく。冒頭のエントリで紹介したように、軍艦島でさまざまな集団脱走があったことは日本でも史実と考えられている。そこに独立軍の助けがあったか否かという論点で、どれほど日韓関係への影響が変わるというのだろうか*3

*1:日帝強制徴用の歴史描いた韓国映画『軍艦島』、絶対にヒットしないといけない理由とは(2) | Joongang Ilbo | 中央日報

*2:はてなブックマーク - 世界遺産登録で日韓対立―「徴用工」問題とは 空腹・粉じん、軍艦島の記憶:朝日新聞デジタル

*3:仮に、独立軍の助けがなければ集団脱走が起きなかったという展開であれば、むしろ炭鉱夫の主体性を否定する描写になりうるし、集団脱走の動機が史実よりも弱く描写されているともいえるが。