法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「会社のもっさりした女オタクが許せなかったのに」という匿名エントリの件

アノニマスダイアリーに投稿された下記エントリが、1000以上のブックマークを集めている。
会社のもっさりした女オタクが許せなかったのに

私が働いている会社には女性社員が100人ほどいるのだけど、

廊下ですれ違うたびに「今日ももっさりしてるな……」と思う数人がいて、

その数人の一人が彼女だった。

自分の気持ちを解釈できない書き手が、それを読者に問う文章で終わっている。
ブックマークでは初期は創作された百合エッセイという解釈が多く、やがて嫉妬だという解釈が増えていく。
はてなブックマーク - 会社のもっさりした女オタクが許せなかったのに
百合話と嫉妬話は排他ではないはずだが、女性の嫉妬というコメントは同時に百合を否定しがち。
私は素直に百合と思ったが、この解釈は百合という評価のブックマーク経由で知った先入観も大きいとは思う。


そしてエントリが創作だということを明かすエントリがnoteに書かれていた。
バズる増田のつくりかた|ひらりさ|note

昨日の昼休みにふと「久しぶりに増田でも書くか」「女同士の百合っぽい感情ネタをいい感じに表したい」ということをつらつらと考えて、以下の増田を書いた。

自分で「創作」と断じている人も多かったが、コメント欄やTwitterで「この女本当にムカつく」「マウンティング」「これを百合と断じるオタクの安直さ」と怒り狂っている人などもいて、完全に「百合」のつもりで書いていた作者(?)としてはなかなか新鮮な気持ちになりました。

ということで作者の意図は百合だったわけだが*1、もちろん物語の解釈そのものは作者をはなれて読者が勝手にしてもいい。
むしろ実話ではないから実在の人物を傷つけまいと安心できることから、解釈の自由度が増したともいえるかもしれない。


ただ、明らかに百合と解釈するしかない部分が匿名エントリにはある。
匿名で吐き出したエントリとしては珍しく、「会社のもっさりした女オタクが許せなかったのに」というタイトルが最初からつけられている。それが創作らしさを感じさせるわけだが、ポイントは「許せなかったのに」という表現だ。
単純に、その感情が現在のことならば「許せない」と表記するだろう。「許せなかった」という表現ならば、過去は許せず今は違うかもしれないという解釈と、エントリを書く時点より過去に起きた体験として過去形にしただけで今も許せていないという解釈ができるかもしれない。
そして、過去のネガティブな感情に「のに」をつければ、文章を書いた時点では反転してポジティブな感情を持っていると解釈するしかない。つまり、国語的に解釈すれば嫉妬よりも百合と読みとるのが自然だろう。
つまり途中の文章を読み落としても、タイトルさえ目にしていれば、百合と読みとることは難しくないはずだ。


念のため、創作ではなく実話と解釈するならば、細部の表現まで意味をこめることはなく、もっと自由に読解できるという考えはある。
とはいえ、明らかに百合と解釈するしかない部分がある一方、嫉妬と断言できる部分は見当たらない。
嫉妬でしかないとコメントした人々が、それぞれどのようにその解釈にたどりついたのか、純粋に興味がある。


ただひとつ思いあたるのは、創作された登場人物が、どちらも性的指向は男性らしい記述があること。

彼氏がいるときは、休日の服装には彼の好みを取り入れる(ちなみに現在はフリー。相手の地方赴任で遠距離恋愛になってしまった彼氏と自然消滅して以来、今のところ彼氏はいない)。

最近、先輩が婚活アプリで出会った男性について話すときに、胸がチクチクする自分にも気づいてきた。

百合は狭義の同性愛のみという思想もないではない*2。まず百合という解釈が却下されて、その代わりの解釈として嫉妬という解釈が好まれたという順序ならば、同意はしないが理解はできる。

*1:このnoteのエントリが前半まで嘘をついていて課金で読める後半では作者ではないことを明かしたりなどしていない、と信用するならば。

*2:もっとも、かつて異性とつきあっていたが今は別れたというのは狭義の同性愛作品でもよくあるパターンだが。