法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「韓国化する日本」という言葉について、タイトルにもちいた浅羽祐樹氏による説明と、実際の使用例の乖離

まず、SYNODOSのインタビュー記事において、『韓国化する日本、日本化する韓国』というタイトルへの反響を問われ、浅羽氏は下記のように答えている。
「俺がルール」じゃ動かないから――「均衡解」の日韓関係へ / 『韓国化する日本、日本化する韓国』著者、浅羽祐樹氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-

一般に「日本の韓国化」と言う場合、日本が韓国のように「劣化した」「悪くなった」というような意味で使われることがあるのは事実です。そういう用法と、この本で示している「韓国化する日本、日本化する韓国」という「対照させるという方法」を、同じものだと短絡されてしまっている側面があるように思います。

ここでは、韓国のように日本が劣化したという意味で一般的にもちいられていることを認めつつ、それが書籍で示されているという解釈は短絡だと主張している。
さらに、一方的に日本が韓国みたいに悪くなっているという意味ではないことを聞き手に確認され、下記のように断言していた。

もちろんです。相手に照らし合わせて自らの姿、あり方を考え直す、そして現状を改めるきっかけになる一番の相手が、日本にとっては韓国であり、韓国にとっては日本であるということです。そういう存在として互いに設定すれば、相手の悪いところはマネしない、良いところはマネする、といった健全で発展的な関係を築けるはずです。

このインタビュー記事を読むかぎり、著作において「韓国化」は悪い意味ではないと位置づけられているとしか解釈できないだろう。


ここで一般の用例を紹介すると、たとえば浅羽氏との共著もある日韓関係研究者の木村幹氏は、ツイッターで下記のように「韓国化する日本」という表現をもちいていた。

ここで「韓国化する日本」は明らかに劣化という意味でもちいられている。
下記のように自認する木村氏のツイートは、過去の実態と乖離しているという印象はうける。

また、木村氏はたしかに韓国の研究者ではあるとしても、日本については比較できるだけの知見を持っていないこともうかがえる。
事実として、他国につごうよくルールが変えられてきたという被害者意識は昔から日本でもあった。それを指摘するリプライもされている。


そして実際に『韓国化する日本、日本化する韓国』から該当しそうな記述を見てみると、SYNODOSにおける浅羽氏の説明とは印象が大きく異なる。

韓国化する日本、日本化する韓国

韓国化する日本、日本化する韓国

書籍の終盤において、浅羽氏は産経記者の黒田勝弘氏を絶賛に近い表現で紹介する*1

黒田のクと博士のパクサで、博士のように韓国のことなら何でも知っている、と現地の人にそう呼ばれて親しまれています。
 1980年代の全斗煥政権の頃からずっとソウル在住で、そのキャリアは30年を超えます。私なんか、2000年に初めて韓国に留学して、博士号もとりましたが、まだまだ足元にも及びません。
 韓国でもテレビに引っ張りだこで、渋い声の韓国語で日本の立場を堂々とプレゼンする姿は、いつ拝見しても、頭が下がる思いでいっぱいになります。
 韓国からすると「極右」産経の憎い敵のはずなのですが、それでもというか、だからこそというか、耳を傾けざるをえない存在なのです。
 というのも、週末ごとに各地に渓流釣りに出かけたり、その土地の名産を好んで味わったりと、裏も表も、理知的な部分も情緒的な部分も、韓国を知り尽くしているからです。しかも、その根底には愛がある。厳しい指摘はその裏返しなのだ、と韓国の人たちも内心気づいているわけです。

ここで黒田氏が韓国を知りつくしている事例として書かれているのが、地域社会の文化を好んでいることでしかないことは示唆的だ。帝国主義国家が植民地文化を愛好することは珍しくないが、その「愛」が対等なものではありえないことを思い出させる。
もちろん黒田氏が韓国文化について一般人よりくわしいことは事実だろう。しかし、たとえば映画『鬼郷』についての記事などを読めば、歴史それも日本の加害を語る能力に欠けていることは明らかだ。
【ソウルからヨボセヨ】正視に耐えぬ最悪の慰安婦映画 - 産経ニュース

この映画はひどい。1970年代から韓国の映画やテレビ、舞台で数多くの反日ドラマを見てきたが、これは最悪である。「慰安婦として強制連行された可憐(かれん)な韓国の少女たちと極悪非道の日本兵」という図式で、日本兵による少女たちに対する殴る蹴る引き裂く…の残虐な暴行、拷問場面の連続は正視に耐えない。

そもそも、実際に映画を観たひとりとしては、黒田氏は鑑賞能力に欠けているとしか思えない。くわしくは次の機会に指摘するが、『鬼郷』は末端の日本兵に善良な人物もいたことを描いたり、日本兵朝鮮半島出身者がいたことに言及したりと、むしろ被害や加害の多様性と分断を重視していた。先入観に満ちた黒田氏の要約は、映画の構成の複雑さを半分も伝えていない。


そして、そのような黒田氏の言葉を借りるかたちで、浅羽氏は「韓国化する日本」というワードをもちだす*2

 黒田記者は、こう述べています。
「日本の『嫌韓』は、相手の等身大の姿をとらえようとはじめからしていない。それは、日本がこれまで批判してきた韓国の『反日』とまったく同じである。相手の悪いところに似る『日本の韓国化』は残念でならない」
 耳の痛い指摘ですが、たしかな示唆があると思います。

このように浅羽氏は、「日本の韓国化」という表現を、日本が韓国のように劣化したという意味で、「たしかな示唆がある」などと一定の妥当性を認めている。
しかも、韓国の「反日」と日本の「嫌韓」を同等視して、かつて日本が韓国に優っていたかのような「極右」らしい観念を、「耳の痛い指摘」と評価している。
実際の書籍とてらしあわせると、SYNODOSのインタビューにおける浅羽氏は、自己弁護と書籍宣伝のために隠し事をしているという印象をおぼえざるをえない。


以前、木村幹氏と吉方べき氏のやりとりをめぐるエントリを書いたことがある。
木村幹氏が吉方べき氏に剽窃されたと主張している件についてメモ - 法華狼の日記
木村幹氏は吉方べき氏より先に自分の記憶力を疑うべき - 法華狼の日記
私なりに根拠をならべたわけだが、最終的に木村氏は下記ツイートひとつで話を終えた。

根拠だてて批判された時の木村氏は、分析して反論をくみたてる「研究者」らしくなく、人間関係で判断する「運動家」らしい対応を選ぶようだ。

さて、黒田氏のような人物の「反日」観を採用したことをもって浅羽氏を「ジャッジ」しても良いと木村氏は考えるだろうか。

*1:218頁。引用時、フリガナは排した。

*2:221頁。