なぜ5年たっただけで戻ってくることが当然視されたり、逆に原発事故をもってのみ帰宅困難が指摘されているのだろうか?という疑問をおぼえる意見が時々ある。
2011年3月、津波が引いた後も長期間にわたって余震がつづいていた。本震には耐えた建造物も崩れる恐れがあったし、本震の記憶が呼びおこされる精神的な苦痛もあった。
インフラも壊滅状態で、交通や輸送の回復にも時間がかかることが予想されていた。西日本の物流などは問題がなかったため、当時は避難することに被災地の負担を減らす効果があるという意見すら見かけた。
たしかに事故の起きた原発周辺に居住が許されない問題はある。しかし、そもそも東北3県にわたって3万人以上が6年たった今も仮設住宅で生活している。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170310/k10010905891000.html
岩手・宮城・福島の3県のまとめによりますと、先月末の時点で3万3854人がプレハブなどの仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。このうち、岩手県では、1万383人、宮城県では、1万1616人、福島県では、1万1855人となっています。
これほど長期間にわたって仮設住宅の生活を余儀なくされるとは予想していなかったにしても*1、被害の少ない地域に移ることが合理的でなかったとは思えない。