法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

韓国映画『軍艦島』を利用した歴史の否定がおこなわれつつある

世界遺産にも登録された日本近代化遺構のひとつ、長崎県軍艦島
そこで戦時中に労働を強いられた朝鮮人の脱出劇を描いた映画が韓国で制作されており、最近に予告編が公開された。

実際に全体を見なければ映画として評価することは難しい。反乱的な情景の規模を見ても、娯楽活劇性を重視している印象を受ける*1
とはいえ予告を見るだけでも、少なくとも映像はさすがに現代の韓国映画らしい力を感じた。春川市に約6000平方mという広大なセットを作った情景のスケール感もなかなかだし*2、薄汚れた炭坑内の圧迫感をきちんと表現した撮影技術もすばらしい。
しかし、この映画の制作を受けて、炭鉱における労働の過酷さや強制性を否定する反応が日本で起きつつある。


まず、BLOGOSにも転載されているkibashiri氏のブログエントリ*3では、映画の内容が史実に反していると主張している。
韓国映画「軍艦島」のでたらめ大嘘を検証しておく〜いつまで日本は韓国による歴史捏造行為を放置し続けるのか? - 木走日記

娯楽作品である他国の映画の内容に文句を言うのも大人げないですが、彼らが本作を「歴史をモチーフに」して作ったとおおむね「史実」であると主張しているのでその点はしっかり反証しておきたいと考えます。

「反証」をする以前に、劇映画を評価する能力がないことをkibashiri氏は自ら明らかにしている。「歴史をモチーフに」とは、歴史を忠実に再現するという意味をもたない。
モチーフとは - コトバンク

テーマがこうした主題をどのように扱い,表現するかという作者の態度,方法とかかわり合っているのに対し,モチーフは作品を形成する個々の単位をさすことが多い。

文学・美術などで、創作の動機となった主要な思想や題材。

どの辞書を引いても、「モチーフ」とは主要でこそあれ題材のひとつにすぎない。作品を着想した素材という意味もあるため、実際に制作していくにつれてモチーフとは異なる要素もとりこんでいくことは当然ある*4
たとえば日本でも、宮崎駿監督の『風立ちぬ』は零戦設計者の堀越二郎をモチーフにしつつ、そこに堀辰雄の小説を重ねあわせている。どれほど史実にもとづこうとも、劇映画であれば史実から逸脱することは珍しくない。
映画『風立ちぬ』公式サイト
かつてkibashiri氏が従軍慰安婦問題と対照させようと「その物語が世界が認める「真実」つまり「実話」であることが、広く認められている」*5ともちあげた映画『シンドラーのリスト』も、もちろん劇映画ゆえの誇張や改変はおこなわれている*6
そもそもkibashiri氏自身も、記事を「歴史をモチーフに新たに創造するストーリー」と要約している。史実をそのまま再現した映画だとは記事を読んでも解釈できない。


そしてkibashiri氏が正しい歴史として主張する内容は、歴史学から遠く離れた明らかな虚偽ばかりだ。

映画では「日本植民地時代に、多くの朝鮮人が強制徴用された場所」として描かれていますが、まず戦時においても朝鮮人の「強制労働」や「強制徴用」の事実はまったくありません。

 当時の軍事徴用は国民徴用令に基づいており、当時の国際法上違法ではなかったのです、アメリカやイギリスなど連合国側でも軍事徴用は行われていました。

徴用の強制性まで否定する意見はさすがに珍しい。法律にもとづいた国家政策であれば、それこそ「強制」の証拠といえるはずだ。さらに注意すると、強制連行とは国策動員をさす歴史用語であり、徴用だけでなく民間業者や官斡旋による労働者募集もふくまれる*7
当時に違法でなかったことも、それだけで強制であったことの反証にはならない。奴隷制が合法であった時代ならば奴隷は何も強制されていなかったかというと、そのようなはずはない。

終戦時には日本人労働者不足により朝鮮人、中国人の割合が増えていたようですが、いずれにしても「朝鮮人だけが強制労働」を強いられた史実はまったくないのです。

映画内容をつたえる記事を読んでも、強制労働の対象が朝鮮人に限定されていると解釈できる記述は見当たらない。

 戦時中そのような悲劇はこの島では起こっていない、

 戦後も半島出身者は日本人と仲良く同じ島で働き続けた事実から、当たり前ですが普通に考えればわかる単純な事実です。

労働環境が良くなった戦後の、あくまで同じ炭鉱夫として同じ目線だったという日本人の証言は、おそらく主観的には事実だろう。しかし戦時中に朝鮮人炭鉱夫が過酷な環境におかれたことの反証にはなりえない。
戦後日本は進駐した米軍を好意的に受けいれ、ダグラス・マッカーサーを歓迎すらしたことを知らないのだろうか。東京大空襲において民間人の犠牲を作戦におりこんだカーチス・ルメイに対して日本政府が表彰までおこなったことを知らないのだろうか。たかだか戦後に復讐されなかっただけで南京事件を否認する河村たかしメソッド*8と、kibashiri氏の主張に大差はない。
以前にも紹介したが*9、現実には「軍艦島世界遺産にする会」の公式サイトにおいてすら、日本で発行された資料集やノンフィクションをひきながら炭鉱夫の過酷な状況を説明している。
端島での強制労働について

社史の記述では、昭和16年12月における端島の在籍労働者数1826名中、坑内夫は1420名とあり、坑内夫の殆どが朝鮮人に置き換えられたと考えれば少なくとも1000名は朝鮮人強制労働者であったと考えられます。
 彼らの入坑は二交代制、1日12時間以上、採炭現場への往復時間を入れると十数時間も拘束られる極限的な重労働であったということです。三交代制になったのは戦後になってからのことです。

端島の岸壁の桟橋に残る石造りの門は一生出られない「地獄門」であり、崎戸島も「鬼ヶ島」といわれ、高島は「白骨島」、3つの島は「1に高島、2に端島、3で崎戸の鬼ヶ島」と言われ、その存在は人々からおそれられた。

そう、kibashiri氏が反発している映画『軍艦島』の描写は、おおむね日本の歴史学で認められている範囲に基盤をおいているのだ。


前後するが、kibashiri氏のブログエントリには、産経新聞による映画『軍艦島』批判記事も紹介され、鄭大均氏の主張をとりあげている。それは未成年の炭鉱夫はいなかったという驚愕の内容だ。
【歴史戦】「軍艦島は地獄島…」韓国映画・絵本が強制徴用の少年炭鉱員を捏造 憤る元島民たち「嘘を暴く」(1/5ページ) - 産経ニュース

首都大学東京名誉教授、鄭大均シンクタンク「日本戦略研究フォーラム」の時事論考で「戦時期の日本の炭鉱にあどけない『朝鮮人少年坑夫』など存在しなかったことは関係者なら誰でも知っている」と批判した。

たしかに勤労動員の対象には年齢制限があったが、それは未成年もふくまれるものだった。戦時中に動員範囲を広げたことは、学徒動員という言葉で聞きおぼえがある人も少なくないだろう。
法政大学大原社研_決戦態勢下の労働統制〔日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働者状態015〕

一九四四年二月からは、これまで技能者登録と青壮年国民登録に分かれていた国民登録を一元化し、その拡充整備をはかった。国民職業能力申告令のこの画期的な改正によって、年齢範囲は、男子は一二歳以上六〇歳未満、女子は一二歳以上四〇歳未満(配偶者なきもの)に大拡張され、適用除外者は、特殊申告令の適用を受けるもののほか国民学校在学者および配偶者ある女子などに限られた。この結果、従来適用除外を認められていた技能者・国民労務手帳受有者・徴用中の者・中等学校以上の学校在学者も申告を要することになった。

もちろん日本の歴史学において、未成年の朝鮮人炭鉱夫がいたことは当然視されている。
たとえばNHK戦争証言アーカイブスでも、動員時に未成年だった元朝鮮人炭鉱夫の存在が記録されている。
NHK 戦争証言アーカイブス
NHK 戦争証言アーカイブス
ここでイ・ウンシク氏などは逃亡して捕まった経験も証言している。

偶然、港に出たのですが右も左も分かりません。仕方なく、船に乗せてくれと言うと、韓国へ行く船はないと言われました。そこで さらに逃げるうちに捕まりました。憲兵からは逃れられません。彼らに捕まって私は引き戻されました。それから 言うまでもなくさんざん殴られて、ひどい目に遭いました。あのときは、もう死ぬのを覚悟で抵抗すべきでしたが、殴られて力も出ませんでした。何日も死ぬほど殴られて起き上がれませんでしたが、治ったらまた働かされました。

もうひとりの証言者チェ・オナム氏の兄は逃亡に成功したという。
そして軍艦島においても、規模は別として映画に描かれるような脱出劇が試みられていた。失敗して流れついたと思われる死体を供養する碑も対岸に建立されている。
南越名海難者無縁仏之碑

「昭和20年頃、海岸に漂着した死体5、6体を川辺近くに埋葬した。朝鮮人であるか否かについては不明であるが端島 炭鉱の労務者ではないかと思う」という旧高浜村助役の証言がある。
 1986年(昭和61年)6月28日、長崎在日朝鮮人の人権を守る会 代表 岡正治(故人)氏の立会でその発掘が行われた。その結果、 4体の遺体が確認された。収容された遺体は火葬され、南越名海難者無縁仏之碑の下に改葬された。
(長崎在日朝鮮人の人権を守る会資料集「原爆と朝鮮人」参照)


思うに、こうした史実にもとづく映画は、韓国よりも前に日本で作られるべきだった。何よりも日本が向きあうべき歴史だからだ。
もちろん過去にまったくないわけではない。たとえばアニメ映画『ライヤンツーリーのうた』などは長期間逃亡していた強制連行被害者を題材としていた。
ライヤンツーリーのうた – 虫プロダクション株式会社|アニメーション製作と作品版権管理
しかし現在、日本が過去に向きあえなくなりつつあるからこそ、あらためて作るべき意義はあるだろう。難しい題材だからこそ、良作であれば注目をあびやすいはずだ。

*1:なお、炭鉱夫の抵抗運動そのものは大小さまざま存在しており、軍艦島でも1944年8月にガス事故をきっかけとして約100人の中国人が入坑拒否をしたという。 主として日本人が働いていた1897年には700人規模の入坑拒否運動もあったという。さまざまな軍艦島 - 軍艦島を世界遺産にする会 公式 WEB

*2:こちらの記事を機械翻訳した。http://www.kado.net/news/articleView.html?idxno=798343

*3:韓国映画「軍艦島」のでたらめ大嘘を検証しておく~いつまで日本は韓国による歴史捏造行為を放置し続けるのか? (1/2)

*4:予告映像の最後にあるロウソクを灯した場面は、現代の韓国におけるロウソクデモを重ねあわせているような印象を受ける。

*5:韓国が『シンドラーのリスト』のような慰安婦映画を作れない本当の理由 - 木走日記

*6:kibashiri氏のように加害者側の見解を採用するならば、収容所の所長による娯楽的な殺人を当時の愛人は否認した。『ホロコーストを生きのびて〜シンドラーとユダヤ人 真実の物語〜』 - 法華狼の日記 さらにIMDBには、意図しない複数のミスまで列挙されている。Schindler's List (1993) - IMDb

*7:外村大氏の研究室サイトがくわしい。朝鮮人強制連行 外村大研究室

*8:河村たかしメソッドとは - Apeman’s diary

*9:炭鉱に朝鮮人差別がなかったという産経記事が、方城炭鉱の事務員の証言を使っていて、見えている景色のちがいに頭をかかえた - 法華狼の日記