法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ロープ』

高級なアパートの一室で二人組の青年が友人を絞殺していた。
ニーチェの超人思想にかぶれた二人は、殺人が罪になるのは凡人だけだと考えて事件を起こしたのだ。
さらに二人は自身の超人性を証明するため、絞殺死体を隠した一室で堂々とパーティーを開催するが……


1924年の誘拐殺人事件にもとづく戯曲を、1948年に映画化した作品。

アルフレッド・ヒッチコック監督の初カラー作品にして、劇中の時間と上映時間を同調させた1シーン映画として知られる。


また、1時間20分すべてが1カットという挑戦でも知られている。しかし当時は数分ごとにフィルムを交換する必要があり、俳優の背中などでカメラを暗転させてつないでいる。
そして疑似1カットを見逃すとしても、実際は5カットぐらいで構成されている。まずタイトルバックで、屋外の風景からカーテンを閉めた窓へカメラをふって悲鳴を上げさせ、屋内へジャンプするところで明らかにカットが割られている。本当に1カット映画を目指すなら、窓にカメラを押しあてるようにして屋内へ突き抜けたかのように撮影するところだろう。屋内で終始する本編でも、複数人の会話から一人のバストショットへカットを切りかえる場面が3回ほどある。ここも1カットにしたいなら、急速にカメラをふって残像でごまかし、違うカットをつなぐところだろう。
ただ、当時のテクニカラー撮影機は巨大で、屋内セットでカメラワークをつけること自体が困難だった。急速にカメラをふることは不可能だったと想像できる。そのためセットの家具や壁も移動できるようにしていた。カメラマンがひとりでデジタル撮影できた完全1カット映画『エルミタージュ幻想*1とは時代が違うのだ。
そして広い屋内を行き来するカメラワークは、当時の技術的な制約を感じさせない見事なものだ。特に、凶器のロープを老メイドに気づかれず引きだしに入れるまでの1カットと、どのような事件が起きたかを想像する主観的な映像は、現代でもまったく古びていない。
屋内1シーンの時間経過を表現するため、広い窓いっぱいに見せている都市の風景もすばらしい。マットペイントとミニチュアを組みあわせて、蒸気のたちのぼるマンハッタンを表現する。それが少しずつ赤く染まり、ついに光り輝く夜景となる。そして真相があばかれると同時に窓が開け放たれ、閉じた世界の外側から生活音が流れこんでくる。


サスペンス映画としても明解で、上質なつくりになっている。どんでん返しのたぐいはまったくないが、いつどのように事件が明るみに出るか、その時に犯人二人組はどうするのか、緊張感にあふれている。
もとが舞台劇ということもあって、登場人物が必要な人数にしぼりこまれ、その役割も明確だ。特に、口が堅いと自称しつつ二人組の恩師に内部事情を語る老メイドと、楽しくパーティーを盛りあげる夫人のキャラクターが魅力的。犯人二人組がそれぞれ躁と鬱になっていくところと、超人思想を教えた恩師の意外な真人間ぶりも、それぞれ対比としてわかりやすい。逆に被害者の若者と、その母親は、ほとんど画面に姿をあらわさないことで不在感をきわだたせ、殺人動機の虚構性をも浮きあがらせた。
上流階級の若者たちの増長という主題にも普遍性があるし、同性愛を背景におりこみつつ語りすぎていないから気になる差別描写もない。
ちなみにDVDに収録されたメイキングで脚本家は殺人場面を撮るべきではなかったと語っており、私もチェストに本当に死体が入っているか否かというサスペンスは好きだが、わかりやすく危機感をもりあげる物語が悪いというわけではない。