法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

1942年の大日本帝国の「撃滅戦の火蓋は切って落とされた」

国立国会図書館デジタルコレクションで、大倉要『戦争と国際問題』という書籍が公開されている。
戦争と国際問題 - 国立国会図書館デジタルコレクション
「序」によれば、戦時に国民の常識となるよう昨今の重要課題を解説したものだという。


当時の視点における資料や建前がならべられていることは興味深いし、だだもれになっている本音も味わいぶかい。
たとえば、大東亜共栄圏について、その範囲は確定できないとしつつ、理念的に賞揚している部分がある*1

大東亜共栄圏の確立とか、大東亜新秩序の建設ということは、ある国家または地域を征服したり、併合したりすることを意味しないのであって、植民地としての状態の解放、奴隷としての民族の解放は、全世界を通じての正しい道理であるばかりでなく、我が国の真意は、かしこくも神武天皇が、八紘を掩いて宇と爲むとおおせられた肇国の大精神により、よろづの国々をして各々その所を得せしめ、世界の平和を打ちたてようというのである。

このように「解放」としながら天皇を中心とした秩序を目指していると、恥ずかしげもなく語っている。
少し後には「大東亜の盟主は日本」という小見出しで、「日本は東亜の盟主として運命づけられているのである」とまで断言している*2
さらに、その日本中心の秩序を維持するため、防衛に必要な地域は解放しないことまで書かれている*3

しかし共栄圏建設は、帝国を核心とする東亜諸民族の共同の運命に立つものであるから、東亜防衛のため絶対に必要な地域は、帝国が把握すべきことは当然であり、香港、マレーが多年英国の東亜攪乱の拠点であった事実からして、帝国が東亜防衛の拠点として把握すべきは、大東亜経綸上必須のことである。


しかし当時の大日本帝国の視点そのものは、今回の本題ではない。読んでいて目についた日本語表現にある*4

昭和十六年十二月八日この日こそ、全世界の地軸を大転換せしめた日であり、大東亜の黎明を告げる歴史的な日であった。多年にわたる暴戻英米に対し、撃滅戦の火蓋は切って落されたのである。

戦いが始まるという意味の表現「火蓋を切る」は、火縄銃を撃つ時の動作に由来している。銃身の火薬に着火するために開く蓋こそが火蓋であり、その開ける動作を「切る」と呼ぶのであって、落とすことはない。
これは「幕を切って落とす」という表現と混同されたと考えられている。舞台の幕をすばやく開く手法として、幕を文字通りに落としていたことから生まれた表現だ。
これは「火蓋を切る」が「火蓋を切り落とす」に変化した戦前の事例といえるだろう。


この混同は由来から考えて間違っており、主要メディアでも誤用としてあつかわれている。
火ぶたを切って落とす? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所

この誤用例は、新聞社や放送局の『用字用語集』や『ことばのハンドブック』の多くが「誤りやすい慣用語句」の一つにあげており、×「戦いの火ぶたが切って落とされる」→○「戦いの火ぶたが切られる。戦いの幕が切って落とされる」などの言いかえ例を示しています。

ただし言葉とは生物のように変化していくものだ。今回のふたつは物事を始めるという意味が同じということもあり、読解において混乱することはない。
現在の国語辞典でも、『明鏡ことわざ成句使い方辞典』等は誤用としているが、『大辞林』第3版等では追認されつつあるという。
「火蓋は切って」も「落とされ」ない?! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

現実には「火蓋を切って落とす」の表現の方が圧倒的に多い。たいていの辞書はこの語句を立項していないが、岩波書店の『広辞苑』第6版(DVD-ROM版)は「火蓋を切る」の項の最後に「『幕を切って落とす』と混同して、『火蓋を切って落とす』ともいう」と記述し、「ともいう」としながらも追認している《注》。
    驚いたことに『大辞林』第3版(三省堂)では、「火蓋を切る」の語義解説として「戦い・争い・競争など始まる。火蓋を切って落とす」とある。『広辞苑』より一歩も二歩も踏み込んだ積極容認派だ。

日本語の研究機関に収録された用例として、1989年のものもあるという。
「火蓋(ひぶた)」は「切る」のか、「切って落とす」のか? : 日本語、どうでしょう?

インターネットで検索すると「切って落とす」の用例はけっこう見つかるし、国立国語研究所コーパスにも以下のような用例が存在する。
 「太平洋戦争の火ぶたが切って落され、掘畑も翌年陸軍に徴用されてしまった。」(杉山隆男『メディアの興亡』1989年)

たしかに半世紀以上前の資料、それも公的な性格のものに見られることから、混同とはいえ定着した表現として理解するべきなのかもしれない。

*1:ノンブル23頁。以降の引用もふくめて、かなづかいは適当に現代的に直した。「肇国」は建国の意味。

*2:ノンブル29頁。

*3:ノンブル33頁。「経綸」は秩序を整えるという意味。

*4:ノンブル31頁。