法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『忍者狩り』

将軍家光は幕藩体制を確立するため、口実をつくっては外様大名をとりつぶしていた。伊予松山の蒲生家も、後継ぎ相続における弱体化がねらわれる。
後継ぎを保証する「お墨付き」があるかぎり幕府は建前として蒲生家を守らなければならない。しかし相続の儀式までに失うと蒲生家は断絶させられる。
そこで蒲生家は「お墨付き」を忍者から守るため、とりつぶされた複数の家の浪人を雇ったが……


七人の侍』に影響されたという、モノクロシネスコ―プで作られた1964年の東映作品。

山内鉄也監督は1966年のカラー特撮映画『怪竜大決戦』が印象深いが、この作品は題材に比してトリック撮影が少なく、外様と忍者の戦いにかりだされる浪人の悲哀をシリアスに描いている。
七人の侍』が野武士の視点を排したように、『忍者狩り』は庶民の存在を映像から排している*1。もちろん支配者内部の物語というわけではなく、日本の支配体制が確立するなかで体制からはじきだされた者たちの物語と読むべきだろう。


東宝の『七人の侍』ほどに重厚ではなく、大映の『忍びの者』ほどに暑苦しくない。だが、濃すぎない小品として、これはこれで悪くない。
まず、映しだされる白と黒のコントラストが心地よい。忍者の黒装束からしてそうだし、光が当たっている場所が闇に浮かぶタイトルバックもそう。さらに予告映像で見られるように、真っ白い遍路姿に変装した忍者たちと林道で戦ったりする。伊予松山ならではの時代劇描写といえるだろう。黒澤明作品のような厚みこそないが、絵画のような構図が頻出する。
物語はたしかに『七人の侍』を思わせる部分が多く、雇おうとする浪人に切りかかって腕試しする冒頭から、勝ったはずの浪人が葛藤をかかえた結末まで、構造からして似ている。山城新伍演じる浪人が女性の色香にまどわされる場面もある。
しかし尺が1時間半にも満たないこともあって、かなり要素が簡略化されていて、味わいは異なっている。浪人で活躍するのは実質的にひとりで、蒲生家でたよりになるのは家老くらい。その浪人が内通者を暴くために無関係な者も殺したことで、蒲生家から反感を受けたりもする。ゆえに全体としては1962年の『椿三十郎』を思わせる。
忍者らしい城への侵入劇も、あくまで陽動。殺陣の動きは遅くて、ところどころの激しい流血や斬首も後を引かない。因縁をもつ浪人と忍者の、たがいに知恵をめぐらす化かしあいで物語が進んでいく。そして『七人の侍』や『椿三十郎』とは対極に、誰も見ていない場所で孤独な決着がつく。忍者を題材にした物語のひとつの類型として、よくまとまっていた。
もうひとつ良かったのが音楽演出で、あえて楽器の音を耳ざわりに鳴らしつづけ、不穏感をつくりだす。戦闘に入ると、音楽を止めて自然音だけになる。時代劇の枠組みを超えすぎず、同時に現代的な感覚で楽しむことができた。


全体としては東映らしい、簡素で明確な時代劇であった。現在からすると殺陣に面白味や迫真性が欠けるし、省略してなお無駄と思える要素も残っているが、一見の価値はある。
なお、歴史を題材にしたはずなのに史実に反した結末をむかえるが、それは東映時代劇で珍しくないし、結末の予測を難しくする効果もないではない。

*1:嫡子が城下町をながめる場面で、市街が一枚絵としてすら出てこない。