法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『本能寺遊戯』高井忍著

扇ヶ谷姫之、朝比奈亜沙日、アナスタシア・ベズグラヤの3人は、歴史愛好家の女子高生。
歴史雑誌の新説公募に対して、3人は受けねらいの奇説をでっちあげ、賞金や副賞を獲得しようとたくらむ。
本能寺の変ヤマトタケル春日局弓削道鏡、それぞれの謎の真相として思いついた珍説とは……?


東京創元社から2013年に出版され、2015年に文庫化された歴史ミステリ。タイトルは「遊戯」と書いて「ゲーム」と読ませる。
本能寺遊戯 - 高井忍|東京創元社
いかにも現代的なミステリらしく、目的は正しい真相を推理することではなく、楽しい新説を成立させること。通説という真相をあえて無視して、どのような奇説ならば娯楽重視の雑誌で受賞できるか、なおかつ最低限のつじつまをあわせるにはどうすればいいか、試行錯誤する思考遊戯を楽しませる。
同じ東京創元社の歴史ミステリとして鯨統一郎邪馬台国はどこですか?』を思いださせるが、ずっと自覚的に与太話を開陳して、むしろ史実を素直に楽しめない歴史趣味への葛藤をのぞかせる。
最も歴史にくわしくて素直に通説を採用するべきと考える扇ヶ谷のキャラクターが象徴的だ。くわしいゆえに最もそれらしい珍説を完成させるが、読者受けする楽しさという一点で他の2人に劣ってしまう。


以下、各編のネタバレ。
「本能寺遊戯」は表題作で、そのまま本能寺の変の真相を考えるというもの。明智光秀が謀反を起こしたのはなぜか、誰かが糸を引いていたのではないか。
明智光秀には充分な動機があるから黒幕説など考える必要はないと主張する扇ヶ谷。しかし朝比奈は、これまで黒幕説がとなえられたことがない有名人というアプローチで新説を考えて、お市という黒幕説をひねりだす。なるほど織田信長を憎む動機のある有名人で、なおかつ代表的な黒幕説には出てこない。ただし賞めあての思いつきなので、細部をつきつめて考えるのは堂々と放棄してしまう。
一方で真面目な扇ヶ谷は、どうしても黒幕説を考える余地がないことから、織田信長の天下統一の思想的背景にイザナミ信仰という新説をとなえて、その背景に対して明智光秀が抗ったのだという説を示す。イザナミ信仰の根拠は第六天魔王という織田信長の有名な自称などで、謀反前に明智光秀が参拝した神社の祭神がオチとなる。ミステリ用語でいうなら、フーダニットの朝比奈に対して、ホワイダニットの扇ヶ谷といったところか。


「聖剣パズル」はヤマトタケルの真実をめぐる謎を考える。作中でも指摘されるように、何が謎なのか漠然としていて、どのように新説を打ちだせばいいのかわかりにくい。
そこで古事記日本書紀との描写の違いを比較しながら、草薙の剣に的をしぼっていく。壇ノ浦の合戦で海に消えた草薙の剣は、あくまで複製されたもの。本物の草薙の剣は熱田神宮に保管されている。その草薙の剣の由来を問いながら、ヤマトタケルが実際におこなったことをひもといていく。熱田神宮織田信長が熱心に信仰していたことなどの、前話とのつながりも出てくる。
そして草薙の剣は天皇の権威ではなく、むしろ天皇に反抗する民族の象徴であったという結論が出される。これ自体は剣の出自をめぐる神話から考えても説得力はある。ただ、いかんせん謎があいまいで、ヤマトタケル自体も記紀の描写にぶれがあり、つじつまをあわせた珍説を出されても落差は感じない。


「大奥番外編」は春日局の正体をさぐろうとする。ただし「番外編」と書いて「イレギュラー・ケース」と読ませるように、今回は新説の提示を放棄する。
なぜなら春日局が権力をふるったという逸話は、どれも信用できない出典にもとづくものだから。あくまで春日局は世話焼きな乳母であって、自身が育てた家光だけに目配りしていたわけではないと扇ヶ谷は主張する。大奥自体が政治から女性を隔離するためのもので、それほどの権力があったわけではないとも指摘する。
そこで考えを逆転させ、なぜ大奥の権力を象徴するように春日局が過大視されたのかという説をとなえる。特異的に大奥の立場が強かった家斉の在位期間が長く、しかも幕府が崩壊する直前の時代だったため、江戸幕府の象徴として記憶されたという主張は、なるほど説得力がある。


「女帝大作戦」は称徳天皇道鏡天皇にしようとした謎を追う。「女帝」と書いて「エンプレス」と読ませるサブタイトルのように、あまり道鏡自身の野心は問題にされない。
基本的には宇佐八幡宮神託事件の謎解き。道鏡天皇にすべしという神託と、道鏡天皇にするなという神託、なぜ正反対のお告げが同じ神社から出たのかという歴史上の謎を解く。
今回は比較的に地味な題材だが、実際に歴史学でも謎とされる出来事。そこで天皇家と藤原家の関係をひもときながら、称徳天皇道鏡を重用した動機についての新説をうちたてる。なぜ京から遠い宇佐八幡宮が神託事件にかかわったのか。そこに陰謀を見いだす。


「『編集部日誌』より」は、これまで3人が投稿した歴史雑誌の編集者視点で、どのような新説を求めていたかを3人に説明しながら全話をまとめていく。
謀反に呼応した大名が浅井関係者という注目されざる史実がお市黒幕説の受賞につながったと説明されたり、扇ヶ谷の新説がどのように編集者に解釈されて埋没したしたかを釈明したり。
宇佐八幡宮神託事件についての扇ヶ谷の新説も語られる。それは道鏡は僧侶で子孫を残さないからこそ、実際に皇位をつがせたい人物が育つまでのつなぎだったというもの。なかなか説得力はあったが、編集者に指摘されるようにマイナーな人名が多くて、ライトな読者には受けなさそうな内容ではあった。
そして宇佐八幡宮神託事件について、なぜ京から遠い宇佐八幡宮が神託を出したのかという前話に提示された疑問を延長して、驚きの黒幕説が示される。なるほど、日本が朝鮮半島へ手をのばさないよう抑えるため、勢力が衰えていた時期の唐が陰謀をはりめぐらせたという説はおもしろい。遣唐使船で密接な人間関係のつながりがあった。どうせホラを吹くならスケールが大きいほうが楽しいし、細かい粗もごまかせる。