法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『チャイナ・シンドローム』

女性キャスターのキンバリーは、ジャーナリストらしい仕事をはじめる足がかりとして、原子力発電所をレポートしようとする。
少人数のスタッフで取材に行き、制御室に案内された時、水位計のトラブルが発生。いったん収束したかに見えたが……


1979年の米国映画。公開直後にスリーマイル島原発事故が起き、事故の経過の酷似ともども予見的な映画として話題になった。

ただ、同時代の符合を忘れて実際の作品を見れば、事故そのものに重心をおいた作りとは少し違う。
冷却水不足で炉心溶融*1しかけるトラブルは冒頭にすぎず、現場の決断と努力によって収束する。そして、隠し撮りしていたキンバリーたちに圧力がくわえられたり、トラブルを発端として現場が再出発したりする姿が描かれていく。
つまり、いずれ原発が事故を起こすだろうと警鐘を鳴らす物語ではなく、あらゆるものに事故が起きることを前提として社会がどう動くべきかという物語だ。


やがて、制御室の責任者ジャックの奮闘へと物語の重心が移っていく。第1のトラブルをきっかけとして、ジャックは自身の職場に隠された大きな問題を発見する。
キンバリーたちの接触に最初は否定するが、やがて協力を確約。しかし圧力が暴力にまで発展したため、制御室にたてこもって問題をうったえようとする。制御室で自分の居場所が失われたことを知る場面、かつての同僚の冷たい視線に苦しむジャックの姿は、なるほどカンヌ映画祭で男優賞を受けるだけはある。
このあたりから展開が派手になっていくが、映像が抑制されているので、カーチェイスや銃撃戦も現実にありえる描写に感じる。おおがかりなセットは制御室くらいだろうし、ミニチュア特撮も振動でゆらぐポンプだけだろう*2。ロケの多用がドキュメンタリータッチな映像の現実感を支える。
カーチェイスは長いが、○○○○の威嚇行動にすぎず、口封じのため殺そうとまではしていない*3。制御室でジャックがたてこもった時も、あくまでTVを通じて自説を訴えようとしているだけ。


そして第2のトラブルが発生するわけだが、ある意味で第1のトラブルよりも現実感がある。現在の日本で発生しないとはいえないし、原発でしか起きない問題でもない。
ジャックが発見した問題が、電力会社ではなく○○○○にあることもポイントだろう。第2のトラブルで電力会社が問われているのは、問題を起こしたことではなく、修正する時間や金額を惜しんだこと。これは現在の日本でも進行していることだろう*4
また、あえて偏見をのべさせてもらうなら、電力会社は政治的な圧力をくわえるだけで、暴力的な圧力を実行するのは○○○○だけというところも、嫌な現実味があった。エリートは汚れ仕事に手を染めなくてもいい。


取材対象にだけ重心のある映画ではないため、ジャーナリストを描いた作品として観ることもできる。物語においてだけでなく、映像としても印象に残る場面が多い。
たとえば予告で確認できる冒頭において、広報とキンバリーのやりとりが撮影される。そこでキンバリーの表情は、後からひとりだけで撮影する。よくある素材撮りだが、わざわざ描写することで映画上の意味が生まれる。
その後も、ふたつのモニターでスタジオと現場の撮影素材が並行して映されている場面が頻出する。TV番組が編集によってつくられていることや、視聴者が撮影素材のすべてを見ることができないことを印象づける。
そして結末において、TV番組による問題告発の限界と可能性を描いて、画面がカラーバーへ変わる。つづいて無音で流れるEDクレジット。この映画全体がひとつのTV番組であったかのような演出。

*1:燃料が溶けて地中を進む「チャイナシンドローム」は既存の言葉として語られており、台詞としては地下水にぶつかって爆発する可能性を重視している。

*2:けっこう作りの細かい、良いミニチュアだ。

*3:実際、ジャックとは別個に大事故が起こされるものの、重要証拠だけ奪われ、命は助かったという描写がある。

*4:たとえば川内原発で再稼働の条件だった免震重要棟をつくらないことなど。http://www.asahi.com/articles/ASJ397JS2J39TIPE02M.html