法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』宇宙探検すごろく/最強!オールマイティーパス/「映画クレヨンしんちゃん オラの引越し物語〜サボテン大襲撃〜」

先月初めにつづく3時間SP。実質1時間SPと映画との合体だが、かなり映画に尺を使っていて、ノーカットに近そう。



「宇宙探検すごろく」は、雨がつづいて遊べない皆が、室内で遊べる秘密道具で楽しもうとする。まず「未知とのそうぐう機」を出すが何も起きず、「宇宙探検すごろく」で架空の探検をしようとするが……
今回はシンプルな原作から大きくアレンジされている。原作で「未知とのそうぐう機」は出てこないし、もちろん異星人も乱入しない。異星人の出番もオチなどではなく、中盤から堂々とスゴロクを初める。まったく物語の味わいが違っていた。
異星人そのものが全くのアニメオリジナルだし、スゴロクの戦略性も原作より高まっている。キャラクター設定を伏線とした逆転劇も決まっていた。好みとしてはアレンジの種類をしぼってコンセプトを明確にしてほしいが、今回はオリジナル活劇としてそこそこ良かった。
「最強!オールマイティーパスは、どこにでも入れたり行けたりする秘密道具を、期限が切れるまで遊び倒そうとする。のび太しずちゃんを誘って遊園地や映画館へ行こうとするが……
リニューアル初期にアニメ化された原作の再アニメ化。全体としては原作通りの構成だが、原作と違ってオールマイティパスを使い倒そうとするドラえもんの描写など、細部のアレンジが光っていた。
他にも、原作ではパスで入れても何もできないというギャグを多用していたが、今回は遊園地に行くというアイデアで中盤を楽しくアレンジ。行列をもパスできるという描写で秘密道具の効力を強調して、展開としても不自然ではない。
前後とも、前回の初登板*1につづいて川重希作画監督の仕事も良いものだった。


『映画クレヨンしんちゃん オラの引越し物語〜サボテン大襲撃〜』は、『TARI TARI』などP.A.WORKS作品で知られる橋本昌和監督に、うえのきみこ脚本という布陣。
サボテンの甘い果実を輸入する業務を任されたため、メキシコへ栄転となった野原一家。しかし到着した町は貧しく、現地人の社員もひとりだけ。町長との商談も進まない。
それでも陽気な隣人と前向きに生活していく野原一家だったが、町をあげてのフェスティバルでサボテンが人間を襲いはじめる……


今作はシリーズ最高の興行収入をあげたそうだが、そう聞いて納得できるだけの内容をそなえていた。ここまで単独映画として完成度が高いのは、2002年の映画『アッパレ! 戦国大合戦』以来かもしれないと思うほど。
まず、野原一家の引っ越しを序盤で終わらせたのが良かった。予告映像*2を見た時は別離で泣かせるだけの映画かと懸念していたが、あくまで引っ越しは舞台を変えるための手続き。本筋はメキシコの山岳地帯にある町だけで展開される。
そこで見せられるのは、貧しさを逆転しようと特産物にすがり、裏切られていく過疎地の姿。失敗した思いつきに固執して、郷土を救うために町民を犠牲にしていく政治家の顛末。1990年代のリアルな家族像をギャグ化した作品ゆえに乖離してきた現代のリアルを*3、大きく舞台を変えることで描ききってみせた。
このテーマからはスタッフの過去作品も思い出す。監督作品の『TARI TARI』は学校という小さな共同体の崩壊と再生をテーマにしていたし、コンテのみの参加だが『凪のあすから』も限界集落をテーマにとりいれていたことで印象深い。
また、うえのきみこ脚本といえば『スペース☆ダンディ』第4話のゾンビ蔓延を思い出す。『オラの引越し物語』の敵もゾンビ映画のゾンビに似ていて、過去シリーズの敵と違って巨悪としてそそりたつことはない*4。社会に利益とともに負債をおわせる存在の、誇張であり具象化だ。


たぶん偶然だろうが、限界集落の再起というテーマは、同年度の同会社の映画『のび太の宇宙英雄記*5とも共通している。比較すると、『オラの引越し物語』がどれだけ葛藤を切実に描いたか、より明確になる。
のび太の宇宙英雄記』の田舎は、ただ悪人に騙されていただけで、現地人はまったく主体性を見せなかった。ドラえもん達という第三者がヒーローとして介入し、悪人を倒しただけでハッピーエンドをむかえた。対して『オラの引越し物語』は、他に選択肢がないと考えた町長が罠にかかり、周囲を破滅に巻きこんでいく。多くの町民が出ていって、それでも郷土への愛着が捨てられなかった心情が吐露される。
かといって町長が善良で優秀であるかのようにも見せない。過ちを認めない意固地な政治家として批判的に描きつづける。サボテンによって問題があらわになったが、それがなくても愚かな人間だったことには変わらない。むしろサボテンがなければ反省するきっかけもなくなり、郷土を高く売りつけようと欲をかいたまま、町を完全に破滅させたかもしれない。


もちろん町長だけでなく、多くの登場人物が存在感を発揮していく。普段のキャラクターは本筋に出てこないし、パニック物であるためドラマにからむ人数は多いのだが、見ていてきちんと区別がつく。
たとえば保安官は、町長の暴言に追従するだけかと思いきや、サボテンが暴れ出した時には高い射撃能力を発揮。それがパニック序盤の見せ場となり、物語におけるサボテンの強さを線引きし、それでもサボテンに食べられることで絶望感を生む。
全方面でハイスペックな女性カロリーナは、幼稚園で保母をしている。そのスペックが日常や事件で発揮されるほど、能力に見あった仕事がない背景をうかがわせる。もちろんカロリーナ本人はいっさい悩みを見せないが、仕事をせずにギターを弾くだけの青年マリアッチともども、町の貧しさを通奏低音として印象づける。
不愛想で無感動な少女フランシスカ。ずっとスマートフォンをいじっている姿や、田舎を出たい心情を叫ぶ場面は、この作品で描かれるメキシコの町が現代日本に通じることの何よりの証明だ。
池上彰そっくりのイケガミーノは、サボテン設定を解説しつつ、対処できるほどの知識は持っていないというバランスで、パニックを持続させる。タレント枠の日本エレキテル連合も、一方がロボットというコンビ設定を活用して、ギャグの賞味期限が切れてもパニック映画のゲストとして充分な意味があった。
そして野原一家は、現地に根づきつつある第三者として騒動にかかわっていく。問題をすべて解決する能力はないし、責任をもてる立場でもない。サボテン果実の商業的な魅力にひかれてきた有象無象という立場も、きちんと町長に指摘される。


ここまで社会問題テーマから見てきたが、町中に怪物があふれるパニック映画としても純粋によくできていた。
今回は人間側に超技術や超能力はない。過去シリーズで活躍した主人公の身体能力も、あくまで人間の領域にとどまる。相手が反射的に動くサボテンなので、予測不能な行動もあまり役に立たない。
だから画面に映った道具や地形だけを活用して、奇跡にたよらず状況を切り抜けなければならない。どのようにサボテンをやりすごし、町を脱出して、親玉を倒すか。きちんと手順をふんで、伏線を回収しながら、ドラマとからめながら進めていく。失敗する時も、きちんと前振りがある。物語の都合でキャラクターが動かされるような違和感がない。
同時に、世界観を外れない範囲で舞台を広げていき、バカバカしくも大規模なアクションを展開していく。ラストバトルでは、世界観から期待していなかった怪獣映画のような情景まで楽しむことができた。


映像作品としても、予告映像から想像できないほど充実していた。
メキシコ山岳地帯らしい乾いた岩肌と、カラフルな低い屋根がつらなる街並み。ゆるやかな高低差のある街中の道路と、どこまでも平坦な郊外の道路。安っぽい急造のテーマパークと、一面のトウモロコシ畑。しっかりした美術設定のおかげで、動かない場面でも絵が変化に富んでいる。
群衆も止めずに動いているし、サボテンも気持ち悪い動きで作画できている。要所に配置されたアクションも充実。サボテンに襲われまいと隠れる場面の静けさとの対比で、実質以上に動いて見える。
いかにも湯浅政明コンテらしい中盤のカーチェイスも素晴らしかった。サボテンに追われる緊張感に満ちつつ、アニメーションの爽快感があって、ひとりトボケた主人公で息抜きしながら笑える。クライマックスを担当した前作ではしつこさも感じたが*6、今作は状況が変転しつづけるので飽きがこない。