法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』新幹線でサスペンスだゾ/風間くんは忘れ物しないゾ/新しい靴を買うゾ/「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」

この形式も3年目となり、すっかり定着*1した感のある3時間SP。


「新幹線でサスペンスだゾ」は、野原一家が乗りこんだ新幹線に、謎のアイテムをもった女性一人と、それを追う男性二人組がからんでくる。
前後編でサスペンスパロディを展開。美女が野原家に語りかける時に第三者から母親に見えるよう演じたり、名も無き新幹線の乗務員が意外なほどストーリーにからんできたり、演出や構成は健闘していた。あとはアクション作画の見せ場があれば、ぐっとスペシャルなエピソードとして良くなったと思うが。
「風間くんは忘れ物しないゾ」は、いつも忘れ物をしないことを自慢していた少年が、ひとりだけ忘れ物をしてしまい、ごまかすために一芝居をうつ。
荒川眞嗣一人原画で、コミカルなエピソードを楽しい芝居作画で支えていた。誰も風間を疑わす、疑心暗鬼にとらわれて精神がすりへっていく展開もシチュエーションコントとしてよくできている。すべての努力を台無しにするオチも、そのキャラクターならそうするだろうという自然さ。
「新しい靴を買うゾ」は、しんのすけの靴が壊れてしまったので靴屋に行ったが、気にいる靴をさがすうちに母親も靴がほしくなってくる。
シンプルなキャラクターデザインに飾りをちりばめたブーツは違和感ある。しかし実際にみさえがはくと、ちゃんとオシャレに見えるのが不思議。物語については、しんのすけがヒーロー物をほしがったり、ひまわりがイケメンにひかれたりというパターン通りなので、特にどうということもないが。


映画『ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』は、若手演出家の大杉宜弘初監督作品。清水東脚本はリメイクとオリジナルをあわせて5作目。
今作はオリジナルストーリー。ドラえもん達がヒーロー映画を自主制作していたところ、助けを求めてきた異星人を映画撮影と思いこんで協力。それから観光業者を演じている宇宙海賊との対決までを描く。
今回のTV放映が初視聴なので全長版を見れば印象が変わるかもしれないが、聞いていた不評意見に納得するしかない残念な作品だった。田舎が騙されてリゾート化されるテーマは社会派になりうるし、それをドタバタコメディで表現するのも良いとして、ヒーローが本物になっていくには段取りが不足している。


まず良いところからあげると、作画は期待以上に素晴らしい。ほとんどCGを使わず、よく動く手描きアニメーションの魅力が全編に満ちていた。
ヒーローとなったドラえもん達のアクションも、日常の芝居も、コミカルな動きで楽しませてくれる。メカ作画もスラスターの動きなどが細かく、森林や地中で多用される背景動画も手間がかかっている。
海賊のひとりひとりもアクション作画の見せ場をつくることに特化したキャラクター。それぞれ細長いアームを画面いっぱい展開したり、メタモルフォーゼして巻きついたり、無言のまま拳でジャイアンを圧倒したり、老いた肉体が崩れ去っていったり。
デザインも、藤子F作品から適度に引用されていて、全体が違和感なく統合されている。深く考えずに映像だけを楽しむなら、ここ数年でベストのアニメ映画といって良いかもしれない。


そして悪いところだが、とにかく起伏がなさすぎる。
最初から最後までドラえもんの秘密道具に制限がかからず、まともなピンチがひとつも起きないのが致命的。宇宙海賊を殺せないという制限すらないし、観光業者と信じこんでいる住人たちと衝突するドラマもない。秘密道具で倒せないほど宇宙海賊が強敵というパターンでもない。
負けるのは、ドラえもん側が相手を軽く見た時だけ。それで捕らわれても、殺されたりはしない。せめて中盤にとらわれるのがジャイアンスネ夫ではなくドラえもんであったなら、秘密道具の使用が制限された状態での救出劇というサスペンスが作れただろうに。
さほどピンチにならないから、映画撮影ではない本当の戦いだと気づいても、さして物語の空気が変わらない。活躍できなかったのび太が感情のおもむくままヒーロースーツの機能を発揮して逆転しても、何の意外性も感動も生まれない。
すばらしいアニメーションの見せ場も、いつまでも変化なくつづくので、完成度のわりに興奮度が下がってしまう。同じ作画アニメでも『のび太の恐竜2006』は中盤や終盤の旅の風景でおだやかな時間を表現していたのに。


映画撮影という発端も、あまりにディテールが薄いし、物語においても充分に機能していない。
最初からスネ夫がハイクオリティの撮影セットやスーツを用意しているから、わざわざ秘密道具でスーツを本物にする必要性がない。さまざまな戦闘能力は見た目だけの立体映像という設定にしておけば、無自覚に現実の戦いに突入したことの緊張感が高まるだろうし、立体映像をつかって宇宙海賊を騙す場面の伏線になったろう。
ちなみに、同じように自主制作映画で始まった『のび太の小宇宙戦争』などは、きちんとしたミニチュア特撮をつくろうと登場人物が試行錯誤していた。ドラえもんがヒーローに立候補する元ネタだろう短編「宇宙大魔神」も、さまざまな合成と編集で物語をつくりあげる技法を描写して、ジャイアンを騙しながら撮影する物語を支えていた。
現実の戦いがはじまっていることに誰も気づかない展開も不自然。バーガー監督という意思疎通のできるロボットをつかって撮影しているから、誰かが確認すれば話が終わってしまう。そこで会話のすれ違いを展開したり、バーガー監督が嘘をついたりするのではなく、誰もバーガー監督とまともに会話しないという安易な展開を選んでしまった。バーガー監督の描写が少ないから、後半から活躍してもとってつけたようになる。オリジナルのロボットを出さなくても、自動追尾して撮影する小型ロボットと、原作にもある立体ホリゾントをくみあわせて自主制作するという展開で物語は成立するはず。
そして撮影につかっていた秘密道具でそのまま宇宙海賊にたちむかえてしまうから、映画と現実の違いがドラマにおいて意味をなさない。本物の宇宙海賊が相手なのに、秘密基地からかっこよく出撃することに意味もなくこだわる*2
のび太は効果のない能力をしつこく見せるだけで、他の方法をためしたり努力したりはしない。どうしても倒したいと願ったらあっさり能力が強化され、それで敵首領を倒してしまう。敵基地へ瞬間移動できる道具を入手しても、頭をつかって活用しようとはせず、かなり偶然まかせのまま問題を解決してしまった。