法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

いまさらニチアサで再編集版の『機動戦士ガンダムUC』が放映されるそうだけど

これが案外と違和感ない。同じサンライズ制作の玩具販促アニメとして『激闘!クラッシュギアTURBO*1だの『バトルスピリッツ ブレイヴ』だの、アクセルをベタ踏みな子供向けアニメも放映してきた枠だ。
バトルスピリッツ ブレイヴ 公式サイト
そもそも子供向けアニメとひとくちにいっても、販促商品の売れ行きが良くてスポンサーの許容度が高かったり、逆に調子が悪すぎてスポンサーが手綱を放したりといった理由で、けっこう自由度が高い作品は少なくない。
そうした作品群に比べると、むしろ『UC』の主人公は優等生なくらい。
TVアニメ「機動戦士ガンダムUC[ユニコーン] RE:0096」 - 名古屋テレビ【メ~テレ】


そしてOVA版については、思想のぶつかりやキャラクタードラマをそぎおとして、ロボット玩具および旧シリーズのプロモーション作品として比類なき完成度があると思っている。
OVA各巻で主人公がさまざまな地域につれまわされ、その舞台を活用した華々しい戦闘を必ず展開しているサービスがあり、それ以外をそぎおとした思いきりがすごい。キャラクタードラマとしては寸断され、心情の連続性もとぎれがちだが、その場その場で戦わざるをえない動機はちゃんと設定している。
小説版の原作者はさておき、もともと監督がガンダムに思いいれがなく、しかしアクションアニメーターとして高い演出力があることが、プロモーション作品として良い方向に働いたのだろう。
今回のTV版『機動戦士ガンダムUC RE:0096』はOPやEDの他、「新規の映像」も追加されるそうだが*2、プロモーション的な見せ場のバラエティを増やすのか、それともドラマとしての連続性を高めるのか、その方向性で興味はある。


ただ、物語をひっぱった「ラプラスの箱」の正体は、いわゆるマクガフィン*3とはいえ肩透かしなものだった。情勢が変わっても意味をもつほどの契約書とは感じられなかったし、劇中の政治体制を根底からゆるがすほどの意味をもっているようには見えなかった。
たとえばシリーズ初代から『UC』ぐらいまで作品世界の対立の根底をなす人物、ジオン・ズム・ダイクンの実態にまつわる情報だとか、その情報が『UC』で流れたからジオンという人物を崇拝する思想が以降の時系列から消えたとか、作品世界と密接な設定にすることもできたはず。
比較すると、シリーズで近い時系列と人物設定をつかった半公式漫画『ムーンクライシス』などは、SFらしい法螺話としては成立していた。地球圏の生活を物理的に崩壊させるための情報と方法論が題材となっていて、地球と月と宇宙コロニーに大半の人間が住んでいるシリーズらしい作品になっていた。
ラプラスの箱」の正体には時代小説に元ネタがあるのだが、もっとシリーズの設定を密接に反映させたものであってほしかったとは思う。過去作品で印象的な名称の設定にむすびつけ、聞くだけで関連性に気づけるような何かを……


ちなみに個人的には、「ラプラスの箱」を結末で手にするのが、理想に燃える隻眼の青年という結末を考えていた。
ここでの「ラプラスの箱」の正体は、全人類の意識を統合する装置の概念設計。人間の意識が時空をとびこえる技術は、シリーズ初代から描かれつづけてきた設定だ。時系列で『UC』の直前にあたる『逆襲のシャア』では、地球規模の意識の一瞬のつながりで終幕をむかえた。そのつながりをつくりだしたサイコフレームという技術は、『UC』でも主人公の機体の設定につかわれている。「ラプラスの箱」がつくられた時系列では設計の基礎となる技術が実在しなかったが、数十年たってサイコフレームが完成し、実現できるようになったというわけ。
そして、隻眼の青年の名前はフォンセ・カガチ。時系列で数十年後にあたる『Vガンダム』の敵首魁であり、いわば「ラプラス」が悪魔ならぬ天使にいきついたというオチ。
CHARACTER|機動戦士Vガンダム

エンジェル・ハイロゥを使った人類退行計画による地球の制圧を画策する。

つまり『逆襲のシャア』の結末で提示された理想が、『Vガンダム』で最悪の未来図につながるという皮肉を暗示する結末になったらおもしろい、と思っていたわけ。

*1:そういえばこれも交通事故で重要人物が亡くなったアニメだ。なぜ漫画やアニメのキャラクターはトラックに轢かれるのか - カトゆー家断絶

*2:http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2016022102000177.html

*3:アルフレッド・ヒッチコック監督を源流とする概念で、物語を牽引するための小道具を指す。物語を牽引するための手段にすぎないので、その小道具そのものの設定は安易でかまわない。