法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『Go!プリンセスプリキュア』第50話 はるかなる夢へ!Go!プリンセスプリキュア!

ついに敵首領ディスピアを倒したプリキュアたち。しかし異変はつづいていた。いったんディスピアにとりこまれた敵幹部クローズが復活していたのだ。
グランプリンセスとなったキュアフローラは、仲間の応援を背に受けて、クローズとの決戦にいどむ……


期待以上の、堂々たる最終回。主人公とライバルとの決戦から、敵味方の別離までを描ききった。シリーズ構成の脚本にシリーズディレクターの演出、キャラクターデザインが作画監督、さらに原画も充実。全体を通して整った作画に、激しいアクションと語りすぎない結末が心地よい。


まず印象的だったのはクローズの復活と、対立をつづけるという結論。
復活そのものは予告映像でも明かされていたが、あくまで娯楽的なアクションシーンを用意するための生存と思いきや、それぞれ希望と絶望の信念をかけて戦う。ディスピアの正体が「絶望そのもの」という前回の説明は納得できなかったが*1、そのような抽象的な首領を倒してさえ絶望は終わらないという展開へつなぐとは思わなかった。シリーズ前半でクローズが敗北して表舞台から去り、後半で強化されて復活した構成にも、ここで新しい意味が生まれる。
ついでに、数合わせのような敵幹部にすぎなかったストップとフリーズも復活して戦いに参加。クローズひとりが生きのびたのではなく、これからも絶望がつづくのだと示す。
そして主人公は、絶望を希望と表裏一体ととらえて、対立したまま存在を認めるという結論にたどりつく。同じ田中裕太演出の『スイートプリキュア♪』第47話では敵首領との意外な和解にたどりついたし*2、敵組織の一部が生きのびる結末も『Yes!プリキュア5GoGo!』のブンビーなどがあったし、おだやかに決着した前例も『ハートキャッチプリキュア!』のデューンなどがいたが、そうした過去シリーズよりふみこんでいる。対立しつづける存在として認めあって決別したのは初めてだ。
第1話の敵が最終回の敵になるという、アクション作品の多くが目指して失敗することを、ごく自然にこなせたこともすばらしかった。主人公の強化とライバルの強化を心身ともに同調させることは難しい。物語がつづくと対立構図が変わってしまったり、ライバルが退場したり仲間になったり、どうしても序盤のライバルはラスボスになりづらい。
そうして1年間かけて戦った相手へかける言葉として、プリキュアの決め台詞「ごきげんよう」が見事におさまった。


さらに、未来の希望をえがいてきた作品で、きちんと各人の別離と未来を描いた誠実さ。
より良くなる日常がつづくことを予感させてきた過去シリーズと違って、あえて各人が異なる場所で生きている未来を見せる。登場人物の未来を後日談で確定してしまうのは、想像力の幅を奪ってしまうことも少なくないが、この作品は目指す未来を終盤までに明確化していた。それぞれが目指すための過程もわかっているから、こまごまと台詞やナレーションで説明する必要もない。
プリキュアの能力や異世界との接点を失いながら、それでも大切な過去として生きつづけている。かつて見た未来にたどりついても、そこにたどりつこうとした過去の理想が前進しつづける助けとなるだろう。


最終回なので、全体の感想も書いておく。
とにかく作画レベルの高さと、シリーズ構成の緊密さが印象的。前者は馬越嘉彦が活躍していた『ハートキャッチプリキュア!』に比肩し、後者はシリーズ構成の脚本担当率32%という数字でもわかる。記念作品の前作よりもシリーズ集大成らしさがあり、映像表現で新味を出しつつ、物語構成は過去作品の欠点をつぶすようなつくりだった。
癖が強いと感じたキャラクターデザインは、作画の良さと表現主義的な演出のおかげもあって、すぐ気にならなくなった。惜しかったのは前期EDを代表とする前半の3DCGの質感の軽さで、おそらく『美少女戦士セーラームーンCrystal』と夏休みの劇場版にスタッフが入っていたためだろう。
作画については、これまでどおり大田和寛や板岡錦の濃厚な活躍にくわえて、藤井慎吾の瑞々しく肉感的で立体的なアニメートが目を引いた。


シリーズ構成の緊密さも好みだった。ただ、登場人物の位置づけが明確化されすぎて、キャラクターの厚みが欠けたのは意見がわかれるところだろうか。
何も持たないのに夢を強固に持っている春野、全てを持っているのに夢を見ていなかった海藤、すでに夢を追っていて個人で完成していた天ノ川、夢を達成していると錯覚させられていた紅城……誰かが誰かの欠落を埋めあうドラマとして毎回よくできていたが、逆に関係性をこえた独立性は弱かった。主役の春野も、異様なまでの信念が明らかになった後半からは印象深かったが*3、それまでは時代錯誤な夢を追っている主人公という役割におさまっていた。
独立したキャラクターとして成立しているのは天ノ川くらい。すでに追っている夢をプリキュアという立場がさまたげるという、過去に類を見ない立場だった。プリキュアにならないまま絶望にたちむかった七瀬の対となる立場が、超人にせよ凡人にせよプリキュアになることを良いことと位置づけてきた過去作*4にはない、地に足をつけた軽やかさをつくりだした。
カナタ王子は、主人公に夢をあたえてから押さえつけ、やがて独立した存在として認めるという役割にとどまった。世界観を荒廃させた前作の神ブルーより好感は持てるのだが、主人公の独立性を認めるがゆえに、カナタ自身の独立した人格を描くにはいたらなかった。
そのようにキャラクターの枠割がわかりやすいところ、敵幹部のドラマは過去にない濃密さで決着まで描ききった。対立や独立や和解、多種多様な結末が無理なく示されて、わかりやすい枠におさまった主人公側よりも印象深いくらい。過去作品の敵幹部は作業的に倒されたり、終盤にあわただしく浄化されてドラマを失ったり、和解した一部だけが優遇されがちだった。スタッフのコメントによるとクローズの復活やシャットの人情は予定外だったらしいが、それゆえ生きたキャラクターと感じられたし、それでいて物語における位置づけもしっかりしていた。