法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『Go!プリンセスプリキュア』第47話 花のように・・・!つよくやさしく美しく!

最後に残った花の城へ向かったプリキュアたち。その城に春野ひとりがとらわれてしまう。
仲間が城外で戦っていることも知らず、プリンセスの姿になった春野は小鳥につれられて夢をかなえていくが……


終盤になって、さらに映像が充実。上野ケン作画監督によるキャラクターのかわいらしさや、畑野森生演出による色をなくした世界*1が印象的。
物語は、あたえられた結果ではなく、自分でつかみとることを望む春野の力強さが、主人公らしくも怖くもあった。初期から敵にプリンセスの血統性をつきつけられる展開があったし*2、あえて「プリンセス」をモチーフにしたからこそ血統主義に決別する展開は当然なのだが、その深度が予想を超えた。
まず、城に敵の罠を単独で脱するまでなら、王子の束縛を春野が自力で脱した第39話を濃縮したようなもの*3。そこで春野を罠にかけたクローズが、今回はディスピアの指示で似たような罠にかけた。だからこそ、同じように罠から逃れられることを予想していたクローズの台詞が連続性を強調する。ここまでは反復による強調。
つぎに春野はいつまでも夢にたどりつけないことをクローズに指摘されたが、むしろ夢に終わりがないことを喜ぶ。漫画『男坂』の有名な打ち切り最終回を思い出した。これはけっこう真面目な感想で、長期連載の少年漫画が血統主義に流れがちなことと好対照。たとえば『BLEACH』や『NARUTO』など、逆境を自力ではねのけていたはずの主人公が、強敵との戦いをくりかえすうちに、偉大な両親の力をうけついでいた因縁が明らかになる。もちろん連載期間などの制約があるにせよ、少年向け作品が血統主義的で、少女向け作品が反血統主義になる傾向が感じられて、興味深かった。
しかも今回の春野の結論は反血統主義とは少し違うが、かわりによくある努力至上主義というのとも少し違う。「夢」という言葉が、たどりつく場所ではなく、たどりつくまでの距離をさしていることをつかみとった思想ともいおうか。