法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

擁護者によると、法哲学者の井上達夫氏は近現代史の専門家より正しく歴史を知っているらしい

法哲学者の井上達夫氏はアジア女性基金に「フリーライド」しているようにしか読めない - 法華狼の日記に対して、いくつかの反論がブックマークでコメントされていた。
ある意味で興味深い内容だったので、個別に応答することにする。

id:com123cojp
要するに井上氏は大沼氏の立ち位置に共鳴してるという事でしょ。あと"「立憲主義」の主流的見解からすれば9条は端的にいって異物"なのを知らない田島正樹氏なんて引用するのやめたら? https://ask.fm/tkira26/answers/110787364327

私が引いた田島氏のエントリは、むしろ日本国憲法がいびつであることを前提にして立論している。「国民主権の原則に、真っ向から反するものである。我々は、そのような制約のもとで戦後史を歩み始めているのである」「もともと憲法が矛盾をはらんだものであることは珍しくはない」*1といった主張に対して、「9条は端的にいって異物」という見解がどのように反論となるのだろうか?
そもそもリンクされた吉良貴之氏の見解は、直接的な田島氏への批判ではない。エントリそのものへ見解を語ったものもあるのだから、それを引くべきだろう。
弟子からみてどうすかhttp://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52429081.html | ask.fm/tkira26
少なくとも直接的な否定はしておらず、留保をつけつつ田島氏の「フリーライダー」論を「とても面白いなあ」と評価している。

id:going_zero
「矛盾しない理論を構築することもできるかもしれない」と言っておきながら、現実的でないと切り捨てるのは、典型的な反知性主義。矛盾しない理論で反論しなきゃね。山形浩生内田樹批判を読んでみようね。

私は、矛盾しない理論が示されるまで井上氏の主張を現実の指針とすることは難しいと書いたのであって、現実的でないと切りすててなどいない。
そもそも相手の主張に矛盾を見いだすことは、それ自体が「矛盾しない理論」となるはずだが。批判には代替案が必要という観念にとらわれていないだろうか?

id:hagakuress
他の緩慢なハテサ諸氏はともかく、ブログ主には、著書を読んでの、さらなる詳細な反論を期待。誤認をもとにした反論にしか読めない。

まったく無根拠に誤認と評価する人間に「さらなる詳細な反論」を求められても困惑する。
それにhagakuress氏の主張では、独立した著書を読まなければ誤認してしまうような文章をよせた井上氏に問題があることにならないか。

コメント欄も無残なくらい単純な自己肯定発想による事実認識の歪みが酷い。

もっとも多くの文字数でコメントしているのはid:NakanishiB氏。著作から引用して具体的に疑問点をならべているのだが、どこに事実認識のゆがみがあるのだろうか。きちんと頁番号を明記した引用文をならべつつ、細かな論評はさけているように見える。
たとえばNakanishiB氏は下記のように事実誤認を指摘していた。

「ホロコースとの被害者のユダヤ人はドイツ占領地域の外国人もいますが、多くはドイツ国民です」p36とむちゃくちゃです(実際は外国人が9割以上その半数近くがポーランド国籍)

これについて、ドイツ近現代史が専門の東大教授、石田勇治氏の解説を最近のSYNODOSから引用しよう。
「世界史上最大の悪」ホロコーストはなぜ起きたのか / 石田勇治×荻上チキ | SYNODOS -シノドス-

ナチ・ドイツは1939年に第二次世界大戦を開始するんですが、最初にポーランドに侵攻して、40年にフランスなど西欧諸国を、41年にソ連を攻撃します。そのように一気に勢力圏を広げるのですが、このとき制圧した場所、特に東欧に多くのユダヤ人が存在したんです。虐殺の犠牲者の大半は、そのユダヤ人でした。

井上氏の認識は、『ダイヤモンド』の書評でも要約されている。
日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった[橘玲の日々刻々]|橘玲の日々刻々 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

ドイツでは、戦争責任の主体はナチで、国民は「ナチの犠牲者」だとされている。おまけに責任の対象は侵略戦争の相手ではなく、ユダヤ人に対する強制収容と集団虐殺に限定されている。ホロコースの犠牲者の大半はドイツ国民(ドイツ系ユダヤ人)だ。

もちろん少数説をとなえる専門家の主張と、専門家の多数説をひいた非専門家の主張とでは、後者が正しいことも少なくない。しかしホロコーストの犠牲者比率はそうではないはずだ。hagakuress氏は井上氏の見解が近現代史の専門家より正しいという根拠でも持っているのだろうか。


id:Day-Bee-Toe
まず日清戦争第一次大戦の「賠償」は勝った側のヤクザが負けた側のヤクザを締めるという話なので比較自体論外。そして護憲派の「妥協」は原理原則をかなぐり捨てる話なのでアジア女性基金とは質的に違う。

前半はよくわからない。第二次世界大戦で日本が負けた側だということを知らないのだろうか。「ヤクザ」同士の戦いという構図を日清戦争に見いだすのも珍しい気がする。ただ、従軍慰安婦が同国人の比率が多かったという学説にもとづくなら、たとえば米国が日系人収容所問題について謝罪したことが比較にふさわしいという考えはあるだろう。
後半は、元被害者個々人によりそわない事業が補償の原理原則をかなぐり捨てるものだ、という置きかえが容易にできる。しかしそれよりコメント欄のG氏による下記の主張とてらしあわせると、なかなか味わいぶかい。

井上氏は「内心では自衛隊の必要性を認めながら表面的には九条死守という原理主義的ポーズをとって妥協しない」ことを批判している。九条にせよ慰安婦問題にせよ、一貫して妥協的でないことを批判しているんだから単なる誤読。原理主義でないから批判しているのではない。

「原理的にふるまう時は妥協的でないことを批判し、妥協的にふるまう時は原理的でないことを批判する」という私の読解をかわすため、ひとりは「原理原則をかなぐり捨てる」ことを批判していると主張し、ひとりは「妥協的でないこと」を批判していると主張する。
井上氏の主張が矛盾していると読まざるをえない、何よりの証明といえるだろう。