法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ノラガミ ARAGOTO』第6話 為すべきこと

神のおこないは善と定義される。野良の神、夜トはそう語る。ゆえに神は他人に判断をあずけることができず、他の神であっても過ちを止められない。
人を救うために配下の神器としてかかえこみすぎ、内部のいつわりごとに踊らされ、代替わりの寸前にまで追いつめられた神、毘沙門。
毘沙門が夜トを憎むようになった過去をなぞるような事態に、ついに黒幕が正体あらわす……


TVアニメ1期から第1話につづく「毘沙門様は本当に莫迦だな(苦笑)」という印象が「毘沙門様は本当に莫迦だな(嫌悪)」になり、「毘沙門様は本当に莫迦だな(哀切)」になり、「毘沙門様は本当に莫迦だな(敬愛)」にいたる*1、そんな感じの物語。
TVアニメ「ノラガミ ARAGOTO」公式サイト
1クールのTVアニメにおいて、半クールで1エピソードが完結。それにあわせてかGYAO!で第1〜6話を一挙無料配信予定。
ノラガミ ARAGOTO 特集|無料映像 GYAO![ギャオ]
半クールで1エピソードという構成は珍しいが、思い返してみると展開がていねいで、かつ適度な歯ごたえある作品が多いように思う。
この作品の場合は1期が助走となり、最初からスピーディに展開できたのも良かった。ばらまかれた伏線が消化されていき、因縁による衝突と別離が描かれ、設定を基礎として独自の思想が構築される。


神のおこないが善と定義される設定は理不尽だ。しかしそれゆえ人間が善悪の判断を神にあずけることも不可能になり、自力で考えて動かなければならなくなる。
神の存在は敬愛の対象となり、善を選ぶ基準ではなく、善をなす動機となる。あきれるほど毘沙門が愚かだった意味が、今回まで見るとよくわかった。
同じ定義を夜トが口にして、毘沙門を罪悪感から救おうとした思いやりも心にしみる。これは人間ではなく同格の神だからできたこと。
人と神がたがいをいつわってはならないという結論もふくめて、神と人をめぐる物語として期待以上によくできていた。


これまで毘沙門がつかってきた優秀な神器が倒れた後で、目立たない老婆の神器がすべてを背負う顛末も良かった。役にたたない神器であろうと毘沙門がかかえこんできたことを、あらためて物語と映像で表現しつつ、ここにきて無意味ではなかったのだと印象づける。
五十嵐卓哉コンテなのでアクションは作画に比して抑え目で、クライマックスでも感情の流れを断ち切るようにシーンを変える。しかし、その抑制が傷ついた者たちの無理のない再起を支えて、しみじみと良かった。

*1:そして「毘沙門様は本当に莫迦だな(そんなバナナ)」というオチがつく。