法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』#2 バルバトス

武装組織ギャラルホルンの猛攻にさらされる基地。少年兵をまとめるオルガ・イツカは、動力源にしていたモビルスーツをつかって反撃することを決意する。
操縦と戦闘ができるようにモビルスーツを急いで整備し、三日月・オーガスギャラルホルンモビルスーツに対峙していくが……


今回はロボットアニメとして順当によくできていた。やはり細部に注文をつけたいところはあるが、第1話で設定説明をすませたおかげか語り口に余裕がある*1。死にぎわの台詞や操縦時の鼻血など、戦場描写は類型的だが、無理なくまとまっている。
まず、第1話の終盤から少し時間をさかのぼり、ガンダム・バルバトスを兵器として稼働するよう奮闘するところから描かれる。せまりくる危機から突如とした反撃を演出した前回と対照的に、どのように反撃していったかをじっくり見せた。同じ出来事で異なる魅力を描く、オーソドックスで効果的な手法だ。
肩部装甲がないことで細身の体型を強調したり、モビルワーカーを組みこむことで操縦できる説得力を増したり、急いで転用した兵器だからこその描写も多い。手持ちの武器がほとんどないからこそ、姑息な作戦で勝率を高めようとする奮闘も映える。
ただ、いそいで整備していたから推進剤を忘れていたという台詞は、アクションの高揚感へコメディチックな言動で水をさしてしまったし、無意味に整備士を無能に見せていていると感じた。そこは単純に充分な推進剤を用意する時間がなかったという説明で充分だろう。


戦闘が終わってからは、民間警備会社の上司が少年兵へ理不尽な暴行をくわえたり、クーデリア・藍那・バーンスタインの少年兵への同情が当人から拒絶されたり。後者だけなら理想を切りすてるだけのつまらない描写だが、前者があることで理想にもつ意味もあるという展開になるだろうか。
おもしろいのが、クーデリアが自分がねらわれた理由を正確に推理できていること。火星独立運動の象徴になれるくらいには頭がまわる証明になっているし*2、それなのに推理が的外れであるかのようにオーガスはクーデリアの責任感を批判する。オーガスが正しいかのように演出されているが、もし正しいとしてもそれは“現実”を知っているからではないわけだ。
また、ギャラルホルンが撤退したのも、敵が少年兵と知ったことが理由のひとつ。今回だけで子供を戦争に動員することの異常性が三重に強調されている。しかし、そう動いた隊長のクランク・ゼントは、結末でひとりで戦うことを決めた。中途半端な理想という意味ではクーデリアよりずっとひどいわけだが、さて次回にどのような結論がくだされるか。


映像面では、とにかくバルバトスのアクションに説得力があった。隠れるところが何もなさそうな戦場でも、うまく距離をはかって戦い、土煙や敵兵器を活用する。地面をすべるような殺陣は、ガンダムではなかなか見ない。
キャラクター作画でも、暗がりで影の無い作画が目を引いた。赤井方尚キャラクター作画監督は、どうやらスタジオへらくれすの人脈らしいが、安定して良い仕事をする。

*1:『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』#1 鉄と血と - 法華狼の日記で感想を書いたように、第1話単体では説明を入れすぎと考えていた。第2話まで見ても、やはり第1話の前半は短縮できたと思うが。

*2:それにしては、少年兵の状況を見て衝撃を受けることが不自然だが。独立運動関係で、よほど耳ざわりのいい情報だけ周囲に吹き込まれていたというくらいの背景はほしい。