法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

従軍慰安婦問題や大学脅迫をめぐる安田峰俊氏の多大な問題

多摩大学非常勤講師の安田峰俊*1は、自身のツイートが原因となって大学に抗議メールをよせられたことがある。
市民運動の評価における安田峰俊ビフォーアフター - 法華狼の日記

画像で引用されている範囲のメールを読むと、具体的な内容にふみこまない反発だったり、名誉をもちだしての解雇圧力だったようだ。
これは具体的な批判をさけるのも、「まったく支持する気になれなかった」のも、しかたない判断だろう。

そこで抗議メールをよせた側に近しいと名指しされたSEALDsが脅迫や中傷された時、安田氏は下記のようにツイートした。

SEALDsそのものではないが、その関係者の不穏当な発言は私も見たことがある。安田氏に対する抗議メールを超えたそれらは、さらに批判されるべきではあるだろう。
しかし秘保法反対学生デモに対して「公安がんばれ」「現場にそのスジの人を送り込んで潰しても…」*2という「黒い感想」をツイートした安田氏が主張しても、さほどの説得力はない。


しかも安田氏は2015年1月、大学の内定がとりけされるほどの攻撃を受けつづけた植村隆氏に対して、下記のようにツイートしていた。

会社の仕事に対して攻撃された植村氏とちがって、個人の主張で多摩大学に迷惑をかけたと安田氏は自認しているのかどうか。
そもそも「自分の行動で一番迷惑かけた」とは何のことだろうか。2014年8月の朝日検証で植村記事からとりけされたのは、各社に共通していた用語説明だけ。植村氏個人の取材や筆致とは関係がない。
専門的な書籍から引いた用語解説が後年に不正確とされた時、大学をやめる必要があると主張する人々 - 法華狼の日記

このような「誤用」が植村記者による捏造なのだとしたら、読売新聞や毎日新聞朝日新聞社が発行していたのだろうし、植村記者はタイムマシンを使って5年前の事典を編纂したのだろう。

その後の第三者委員会報告でも捏造がなかったこと自体は認定されている*3。いくつか表現について印象論的な批判もあったが、植村氏自身が他社の記述などとくらべて容易に反論できている*4


安田氏のいう「迷惑」とは何だろうか。「誠実」とは何だろうか。
ここでは攻撃に屈しないことこそが、あたかも朝日新聞従軍慰安婦問題を捏造したかのような事実誤認をしりぞける誠実な行動といえないだろうか。
落ち度がないのに個人攻撃された時、ありもしない「迷惑」の責任をとるべきだと主張した安田氏こそ、はるかに誠実と知性に欠けている。


安田氏自身の従軍慰安婦問題への見識が誤っていることも指摘しておこう。
たとえば神奈川新聞の社説に対して、下記のようにツイートしていた。

アメリカもソ連も同様の酷いことをいくらやっていても」というが、日本軍の慰安所制度ほど大規模で組織的なものは他国には見られない*5
少なくとも同時代の米国では軍部が売春を要請することはなかったし、公認した場合でも国内の批判を受けて組織としてはとりやめる方向に動いていた。
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軍が売春を容認・公認していることが国内でも知られるようになり、厳しい批判が寄せられたことである。従軍していたチャプレン(従軍牧師・司祭)から陸軍省へ批判の手紙が寄せられ、あるいは兵士が郷土の牧師に手紙を書いて問題化した。

陸海軍ともに軍中央が売春公認策を否定したのは国内の批判やスキャンダル化を恐れたためだけではなく、医学的にもそれが性病予防にはならずかえって性病拡大の原因になってしまうという合理的実際的な判断からでもあった。

しょせん合理的な判断でしかなかったとか、性産業に対する偏見があったとか、そうした批判もできなくはない。しかし、日本の慰安所制度が問題視されるのは戦争で負けたためとしか考えられない安田氏は、事実としても倫理としても誤っている。


さらに東京スポーツ記事にもとづいて、朝日新聞の匿名記者を非難するツイートもしていた。

はたして朝日新聞は「自分が生まれる前の歴史問題への反省を現国民に求める論調の紙面」といえるだろうか。よくある事実誤認による不当な批判だと私は考えている。
従軍慰安婦問題についての朝日検証を読んでなお、朝日新聞の影響力を大きく見積もる人々 - 法華狼の日記

たとえば朝日新聞日中戦争の傷跡をルポタージュした本多勝一記者は、下記のように戦争責任をとらえていた。初出は朝日新聞の社内雑誌『えんぴつ』で、朝日文庫『殺す側の論理』に収録されている*6

南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、 たしかに“一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。 本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。問題は過去よりも現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年すぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしないで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を“おわび”したところで、何もなりません。現在の軍国主義の危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

そもそも植村氏を「元記者U氏」と表記しつつ、「Uさんがまだ社内にいたとしたら、さすがに検証記事はやりづらいでしょう。もっとも紙面ではUさんの記事について『意図的な事実のねじ曲げはありません』と擁護してましたけど…」という記者の発言を引いている東京スポーツ記事に信頼性はない*7。第三者委員会の報告書に書かれた理由とまったく異なるからだ*8。さらに『文藝春秋』によせた手記によると、植村氏自身が検証を求めてもいたという。