ついに主人公のもとに伝説の四龍がつどった。これから父王を殺した敵と戦うべきか、それとも国を立てなおしていく簒奪者を許すべきか。何ができて何をしたいのか、それを問われる。
ひとまず世直しもすませて、当面の目的であった仲間集めも終わり、第一部としては綺麗な最終回。とはいえ、いわゆる「俺たちの戦いはこれからだ」という未完状況にすぎない。まだまだ原作の連載がつづいているようだが、きちんと完結までアニメ化することを望む。
全体の感想をいえば、第1話で期待したとおり。ていねいな架空史劇として構築された少女漫画を、ていねいに映像化した作品だった。
朝鮮史がモデルのひとつと思われたことで、放映当初は差別主義者の標的となったが*1、真面目な作風ではねのけていった。
旅をすれば食料が必要だし、汚れて臭くなっていく。傷つけば薬が必要だし、簡単に次の回まで治るような時代ではない。そうした細かい描写を積み重ねて、旅路の長さと難しさを表現していた。
原作からだが、人間関係のわりふりもうまい。
主人公ヨナを中心としつつ、関係が放射状で結ばれない。護衛のハクすらヨナと直結せず、あくまで父王の遺児として守り守られる関係。最も戦いに近い元将軍ハクがイルの理想を尊重しつづけたから、終盤までイルの平和思想が問われつづけた。イルの無力さと気高さが描かれたから、敵対する簒奪者の剛腕ぶりも対照的に際立つ。いわゆる「逆ハーレム」な人間関係だが、単調にしないよう工夫すれば、きちんと作品世界の広がりを描けるのだと示した。
いかにもファンタジーらしく異能をもつ四龍もバラエティに富んでいた。全員が銀髪であるため村が一丸となってヨナを待ちつづけた白龍、村の子供にランダムでうけつがれるため忌み嫌われた青龍、運命による束縛を嫌って主を自分で決めようとしていた緑龍、異能を自覚しつつふりまわされない黄龍、といった異能の発現の差を、キャラクターの基盤として活用していた。それぞれが異能キャラの批評的パロディとしても楽しかったし、戦闘力では異能をもたないハクがまさるというバランスも良かった。
米田和弘監督の演出方針も少女漫画のアニメ化として手がたい。原作のデフォルメ演出をひきうつしつつ、戦闘シーンではアニメとしてしっかり動かす。米たにヨシトモや横山彰利といったベテラン演出家や、伊藤秀次や後藤雅巳といったアクションアニメーターも活躍していた。
『暁のヨナ』の段取り群像劇がすごくよい - 法華狼の日記
ただ、漫画のコマ割りをひきうつす方針は、映像化における工夫不足も感じた。
たとえば戦闘中の会話で時間が止まることはアニメでもドラマでも珍しくないが、米たに回や横山回では戦いの手を止めず会話しており、そうでない回の不自然さが目立った。特に第21話の終盤がアニメとしては説得力がない。眼力で複数の敵をひるませただけでは、敵の脇をすりぬけて仲間の持っていた花火をつかみ、火元まで戻って打ちあげるまでの描写が長すぎた。せめて火元をつかんでふりまわしながら仲間に近づき、そのまま打ちあげるとか改変すれば、少しは自然になったろう。
後述の人身売買エピソードについても、落とし穴を使う描写は都市伝説そのまますぎて、アニメ版のリアリティにはあっていなかった。港町ゆえに地下水路で隠して移動しているとか、それらしい説明を加えてほしかったかな。
ちなみに2クール目の後半では、人身売買する地方領主との対決がクライマックスとなった。
国内では奴隷を禁止しつつ一部では海外へ輸出されているという国家像は、むしろ日本の歴史を思わせる。ヨナとともに領主を倒す「海賊」が、地元漁師をカリスマでたばねている集団であるところも、「倭寇」や「水軍」にイメージが近い。
女性を暴力的に拉致するのではなく、良い仕事があると騙して集めるところや、それに領主が加担しているところなど、現代にまで通じる描写だ。
むろんヨナは王族として責任を感じる。末端領主の悪事にすぎないなどとは考えない。この領主との戦いは、平和主義者であった父王イルの統治に限界があったとヨナが痛感する旅路の一環であったのだ。