法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『アイドルマスター シンデレラガールズ』第6話の雑感

1話から3話にかけての、周囲に助けられた飛躍。4話から6話にかけての、着地して飛びなおすまでのつまづき。これは2011年に放映されたTVアニメ『アイドルマスター』の1クール目と2クール目に相当する。
錦織敦史監督版の『アイドルマスター』はキャラクターをまんべんなく登場させようとして、起伏がひきのばされ、キャラクターの焦点もぼやけがちだった。『シンデレラガールズ』はNGメイン3人とプロデューサーの物語が主軸となって、無駄なく物語が進行しつつ、関係性をもってキャラクターを物語に根づかせられている。
ただ各キャラクターに二次創作をふくむイメージがまとわりついている作品を、最大公約数な妥協でアニメ化しつつ、1クールと2クールの対比で相応の芸能ドラマも描いた『アイドルマスター』も、悪くはないと思っている。


第6話だけの感想をいうと、物語のポイントとなるキャラクターのつまづきには共感しづらかった。致命的なネタバレこそ避けられたものの、何となく展開を察せられる情報を見かけていたのが失敗だった。
基本的には予期された失敗に進んでしまう展開だが、その予期を裏切るように飛躍した第3話がミスディレクションとして作用するはず。せめて情報をえていない状態で視聴したかった。
残酷なつまづきなら一種のカタルシスはえられるが、恥を感じるというつまづきは共感したくないもの。視聴者としては距離をとりたくなってしまう。たとえば、口先では自身の集客力を冷静に理解しているが、内心では期待感で満ちていた……といった共感しやすくなるステップを重ねたら、とあるキャラクターの愚かさが際立ちすぎなかったろう。
ただ、主観的には恥をかいているのに、客観的には充分に成功しているのが、この種の展開では珍しい。順調にイベントを重ねているだけ、足踏みしている周囲より先に進んでいる。自己評価が二重に誤っているため、それほど客観評価と乖離していないのが面白い。


アイドルとしての自己評価と客観評価が乖離するテーマは、同時期に放映された『少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50-』第18話でも描かれていた。
まだマイナーなのにメジャーぶったり、イベントで恥をかいたり、アイドルをやめることを描いたり、ポイントが似ているからこそ違いが際立つ。要因は、言葉が足りない『シンデレラガールズ』のプロデューサーと、煽り口調のようでいて常に真摯な『少年ハリウッド』のシャチョウの違いか。
きちんとした作家が誠実に仕事をすれば『シンデレラガールズ』は作れるだろうが、どのようにすれば『少年ハリウッド』が成立するのかは想像もつかない。不合理な展開はどこにもないのに、意外性と納得感に満ちていた。