法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『烈車戦隊トッキュウジャー』第47駅 輝いているもの

特に大きな動きはなく、意外な展開もなく、これまで描かれてきた課題をひとつひとつ片づけ、激しい最終決戦がおこなわれながらも静かに物語が幕を閉じた。
最終回になってキャラクターが成長したかというと、そういう印象はない。現代的な価値観にもとづく、好感のもてる物語として終わった。レインボーラインもシャドーラインも、それぞれの信念をつらぬいて、それぞれの道を進んでいく。大切なことを変えないこと、交わらない相手を認めること、その大切さを描いた。
グリッタ嬢の姿が最後まで変わらなかったのが、作品を象徴している。てっきり途中で美しい姿に変わるかと思いきや、最終回まで同じキグルミで通して、その醜悪なはずの外見のかわいらしさを引き出し、心の気高さを画面に刻みつけた。
そして物語の結末で、主人公たちは子供に戻る。ハッピーエンドなはずの情景が、6号との別離を印象づける。


いつものように次作に特撮リソースをとられてミニチュアセットが使えないかわりに、合成を活用することで特撮としての楽しみもあった。
まず、階段の両端にならぶ灯篭が輝く線路になる、そのビジュアルが面白くも説得力ある。きちんとしたロボット戦ではなく、列車状態のまま敵をつらぬいて倒すのも、この作品らしさがあったかな。
等身大の戦闘でも、ひさしぶりに乗り換え設定を活用。皇帝と1号が1対1で対峙しつつ、ちゃんと仲間の存在意義もあると感じさせた。


最終回なので、全体の感想も書いておく。
イマジネーションを賞揚する陽気な作品のようでいて、成長してしまう痛みや分かりあえない悲しみを描く、ウェルメイドなジュブナイル作品だった。主人公たちが主要視聴者と同じ目線であるという真実が、明るい主人公たちの現状が異常であることを示す。そうした逆説がそこここで描かれた。さらにチケット君のような細部の設定まで、きちんと物語として昇華していった。
敵によって変容した地域を旅するという設定も、各話の独立性を高め、完成度のアベレージは過去シリーズに類を見ない。敵の侵攻が都市部でなくても良いこと、設定的に舞台のバラエティが必要なことから、ロケーションが変化に富んでいたのも目に楽しかった。
全体として、小林靖子メインライター作品らしい、ていねいな作品だった*1。ただ、小林脚本回がキャラクターを守りつつギャグもシリアスも濃密だったことと比べて、大和屋暁脚本回のギャグ優先なキャラクター破壊の印象は良くなかった。

*1:ただ、過去にコメント欄で指摘された学生時代の記憶については、きちんとした説明がなかった。結局ミスだったのだろうか。