法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ココシリ』

チベットカモシカの密猟者と、それを追う山岳警備隊とジャーナリスト。凍てつき乾いた高地で展開される、あまりにも崇高で滑稽で空虚な戦い。


ウイグル地区出身の陸川監督による、ほぼ実話にもとづいたという中国映画。約1時間半と尺は短いが語り口に無駄がなく、雄大すぎる景色と出口の見えない物語で、長い時間を体感できた。
まず面白いのが、まるで書き割りのセットかマット画を合成したような映像に見えること。大地があまりにも広大すぎて、比較できる人工物もなく、気候のため空気遠近法が無効化されるためだ。カメラを大きくふったり、自動車で移動したりして、ようやく実景と感じられる。あたかもトリックアートのようだ。地面を埋めつくすチベットカモシカの死体や、雪解け水でできた川など、風景の特異さも非現実感に拍車をかける。
そのように非日常的な風景で、人間の矮小さと脆弱さをあらわすような戦いが散発的に描かれる。薄い酸素で息切れしないよう、密猟者と警備隊はゆっくり追いかけっこする。布を濡らすと凍りついてしまうためか、密猟者を捕まえるため靴やズボンをぬいで川に入る。
ならばコメディのように戦闘がデフォルメされているかというと、そういうわけではない。遠距離の狙撃戦など、きちんと緊迫感ある戦闘もある。間抜けに見えるほど慎重でなければ、まともに行動できない環境なのだ。


捕まえた密猟者とともに、警備隊は敵の本隊を追っていく。ジャーナリスト視点で描かれるやりとりから、密猟者も警備隊も大差ない人々であることがわかっていく。
密猟者は貧しく、絶滅寸前のチベットカモシカで生活を維持している。警備隊も政府から支援されず、貧しさに耐えながらボランティアで戦っている。
そして密猟者を追跡する意味が失われていく。敵の本隊に追いつくより前に、過酷な環境で次々と脱落していく。せっかく捕まえた密猟者が負担となり、過酷な環境へと解放する。そうして人間関係や心身を壊しながら戦っているのに、政府も恋人も警備隊を認めない。
最後の最後に、警備隊の活動が本末転倒はなはだしいことが明かされる。あまりの虚しさに唖然としたが、ちゃんと物語そのものが伏線として機能しているから、納得するしかない。その果てに、問題は解決しているのに誰も救われない結末をむかえてしまう。


本当に、よくできた作品ではある。ただ深刻なだけでなく息抜きも多いし、風景の凄さにたよらず画面へ変化をつけているので、見ていて飽きがこない。俳優も、敵も味方も味わいある男ばかりで、さらに途中で美女をさしこむ余裕がある。
そんな普通以上によくできている映画なのに、しかも実話にもとづいているのに、描かれる顛末は皮肉きわまりない。映画史に残るというより、観客の喉に骨を刺すような映画だった。