法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『幽女の如き怨むもの』三津田信三著

とある遊郭の戦前戦中戦後を舞台として、遊女の幽霊らしき影が人々にまとわりつき、謎の墜死事件が連続する。
華やかに装われた花魁がすごす、逃げ場のない日々。ひとつの源氏名を与えられた遊女と同僚たちの苦しみが、みっつの時代をとおして描かれる。


2012年に出た、刀城言耶シリーズ8作目。作者は超常現象を現実のものとして解明しつつ、わりきれない恐怖と謎を残すことで知られる。
島田荘司作品でよく見る展開だが、この作品は奇想に満ちた謎だけでなく、主題まで似通っていた。それでいて題材の物語化は慎重で、女性観も個人的には違和感が少なかった。


まず発端となる戦前の手記は、遊郭に売られた少女の悲痛な恐怖譚として単独で読める厚みがある。作品の半分をしめるほどの頁数をさいている歪な構成も、良い意味で島田荘司作品のようだ。幼く貧しい少女が外見の華やかさに騙される心情、金銭的に拘束されて売春をしいられる苦痛、わずかな望みにかけて脱出しようとする冒険、その心の動きが突き刺さってくる。
次に戦時中に遊郭をついだ女主人の記憶が語られる。先に戦前の手記を読んでいるため、雇われる側と雇う側の断絶が印象深く感じられた。この女主人は幼いころに手記の少女と仲良かっただけに、立場が違うだけで見ている風景が違いすぎる、それが作品を通して最大の恐怖だった。遊女の負担を軽減する策を打ち出したりと、女主人自身はそれなりに良心的であることが、いっそう断絶を際立たせる。
さらに戦後となり、進駐軍の政策に翻弄された色町が、戦前の遊郭を再現するように復活。そこで戦前戦中の事件を取材しようと入りこんだ作家が、恐怖に出会う。遊郭の戦後史としても興味深く読めるし、短いからこそ恐怖譚らしい余韻が楽しめる。


個人的に興味深かったのが、戦中パートにおける従軍慰安婦の描写だ。
比較的に統制されていた日本内地が中心であることと、朝鮮半島や占領地の出身と違って多くが最初から売春婦であったことから、普段の売春に比べれば好ましい仕事と遊女がわりきっている。時には兵士の慰安をすることで誇りを感じたり、死を覚悟した兵士へ思いをよせる遊女もいたことが語られる。実際に内地出身者の記録を見ても、外地出身者と温度差があったことがうかがえるものだ。物語としては、戦中は主人側の立場で記述されていることも、苦難が特筆されない要因だろう。
その上で、戦地で置き去りにされた従軍慰安婦が多数いたこと、兵士と同じように命をかけさせられながら戦後は存在を隠され忘れられていった苦しみも言及される。そして恩給を与えられた兵士と同等の補償くらいは与えられてしかるべきだと訴える。慰安所制度は募集段階だけが問題ではないのだ。これもまた売春に経営者としてかかわっていた人物ゆえの主張と読解することができるだろう。
戦前パートからの記述だが、遊女への高額な贈り物を客に買わせて、その購入費用の一部を楼閣の収入とする手法も重要だ。衣装や家具が高価なものであることは、遊女が自由であったこと、良い生活を送っていたことの証拠にはならない。
ちなみに巻末の参考文献を見ると「慰安婦」を題名に入れたり、従軍慰安婦問題の基本書とされていそうな書籍が見当たらない。それでいて作品内で明らかに誤った記述もないし、共有しがたい価値観で書かれているとも感じない。作者の慎重さと誠実さがうかがえる。いずれ参考文献にも目をとおしておきたい。


そして、ミステリとして謎が解明されるのは4章目から。
しかし奇想といえる謎は少ないし、本格ミステリとしての密度は薄い。脇のトリックはほとんど予想でき、根幹となるトリックにも先例がある。
ささいな不思議が手がかりとなる逆転の切れ味には見るべきものがあったが、分厚い頁数に比べると物足りない。どこに解くべき謎があるのかということ自体を推理する展開が重視されているため、墜死事件の大半は真相に面白味がない。
読みながら予想された真相ではないことを願うようになったが、これは物語の巧みさであってミステリとしての面白さとは少し異なる。しいていえば歌野晶午作品に近い印象か。