法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『残響のテロル』01 FALLING

渡辺信一郎監督は2007年にオムニバス映画『Genius Party』で「BABY BLUE」という一編を手がけている。
http://www.genius-party.jp/genius01/about/director.html
別離を前にした少年少女の秘密をかかえた小旅行を描いた内容だが、後のTVアニメ監督作品に通じる要素が入っている。
坂道のアポロン』のようにピアノの鍵盤を叩き、『スペース☆ダンディ』のように馬鹿なリーゼントが出てくる。
そして少年と少女は、かつて横田基地から手榴弾を盗み出した共犯者であった。ふたりは「十五の夜」を引用し、盗んだバイクで走り去ろうとする……


そんな渡辺監督がノイタミナでおくる新作『残響のテロル』第1話について。
まず、作画アニメとして映像の高揚感はある。これまでイラストか短いPVでしか表現されなかった中澤一登の繊細な描線と動きが、初回の全編を通して楽しめた。アクションも予想外に激しい。
一方で物語は冷えている。冒頭で『太陽を盗んだ男』を思い起こさせる場面があり、とりあえず初回の派手な場面は終わりかと油断したので驚きはあったが、その冒頭以上の衝撃は巻きこまれた少女の視線で語られる。破壊の快楽は充分に表現していても、破壊衝動を共有させようとはしていない。


たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督が自身をコピー世代と位置づけて、実際に作品で過去のアニメや特撮番組から多く引用していたわけだが、それでもアニメーターとして映像のフェティシズムな快楽にはのめりこんでいた。
渡辺監督はアニメ近傍ジャンルからの引用が目立たないが、コピーするしかない空虚さや深刻さは庵野監督より上かもしれない。そしてその虚無を作品で意識的に表出させてきた、あるいは喪失を描いていたように思う。
設定はしているらしいテロルの動機を明言せず、選択肢を強要されてテロルの共犯者となった側から描いた今作の展開にも、同じ気配を感じた。