法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

会話に括弧を使う時における1935年の規範事例

下記の話題とかかわりつつ、少し異なる話。
ラノベでカギ括弧を重ねて使うのはズルなのか技法なのか - Togetter
http://d.hatena.ne.jp/srpglove/20140703/p1
多重カギ括弧は20年以上前から存在していた~友野詳氏の回想録~ - Togetter


ここ最近に個人的な興味で読んでいる近代デジタルライブラリーで、文章作法について説明した『原稿の書き方』という資料を見つけた。
原稿の書き方 - 国立国会図書館デジタルコレクション
鉤括弧についての用法は「會話に括弧をつけよ」という章があり、「始めと終りに必ず括弧をつけて置くべきである」とある。しかし「置くべきである」という規範は、例外を許容するようにも読める。
さらに、つづけて下記のように書かれており、そもそも一般的な鉤括弧を使うかどうかも定まっていなかったらしい。二重鉤括弧でない理由は垢ぬけているという理由だけ。

この括弧にもいろいろあるが、會話の場合は、角形、即ち見本に示すやうな「 」か或は『 』が良い。どちらかと言へば、単線の方が垢ぬけして居てよい。

さらに、はじめに「――」をつけて会話と示す人がいることに言及し、これはフランス風だが地の文との混雑をまねきやすいから「なるべく括弧を用ふるがよい」と結論している。つまり全否定はしていない。
また「括弧の使ひ方」という章があり、「( )」を内心の説明や状況の補足として利用できると語っている。現在なら稚拙な表現とされそうに思える。

 たとへば、説明の意味の場合で言ふと、
  彼女は少し口籠つてから、「いゝえ。」と言つて、(その言葉は彼女の本心からではなかつたけれども)横を向いてしまつた。さうするより外はなかつた。

なお括弧内括弧については、会話内で引用する時に別種の括弧を用いるべきとされているくらい。複数が同時に同じ言葉を発した時の用法は書かれていない。


そして面白いのは、括弧についての章と章のちょうど間にある、「節の初めは一字下げ」という章だ。その最後に、どこか最近に見かけるような規範意識が語られている*1

 節を切るについて戒むべきは、無意味に節を短くし、やたらに行を変へて、普通の文章をあたかも詩か俳句のやうな書き方をすることである。そんなのは、句読点の多過ぎるのと同様すこぶる厄介なお手数ものといふことになつて、その運命や知るべしである。

全体としては例外を許容するような表現で説明されているのに、ここだけ口調が厳しくて、書き手の心情がうかがえるところが楽しい。
ひんぱんに行変えする文章が1935年に多くあっただろうことも、逆説的にうかがえる。

*1:「ついて」「変」「あたかも」「句読点」「すこぶる」「数」の原文は、それぞれ「就て」「變」「恰かも」「句讀點」「頗る」「數」。