法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「表現の自由」を語る自由

つい最近、日本の歴史や政治が表現にのせられたことをめぐって、いくつかの問題が連続してあった。
アングレーム国際漫画祭で、日本作品がノミネートされているという情報と、ALL JAPANを称する団体がしめだされたという報道 - 法華狼の日記
このアートから靖国参拝批判だけ削除させるって、逆に検閲の真意が明らかになるだけだと思うのだが - 法華狼の日記


まずアングレーム国際漫画祭について、大屋雄裕教授*1が言及していたのを見かけた。

この一連のツイートは、それほど間違っているとは思わない。問題意識としては妥当なものだろうと思う。表現内容に問題があるという考えに賛同も示している。
むろん、イベントからしめだされたことの妥当性と別個に、表現の巧拙を論じることは自由だろう。たとえ絵面だけ良くても、存在しなかったことを作品化するのは困難ではないか、という巧拙と内容を密接にみなす意見も見聞きした。
むしろ私が見た範囲では、団体の背景や表現の巧拙を中心に論じつつ従軍慰安婦問題にふみこんでいない意見に対し、きちんと主張内容も批判するべきではないかという批判がなされていたことが多かった*2
「批判者たちの多くも、本当に気に入らないのは作品の主張内容」と大屋教授は認識していたが、「論破プロジェクト」を批判しながら、小林よしのり作品を推すような意見まで存在していた。
「フランス 慰安婦マンガ」騒動で主催者が激怒しブース撤去の要因になったと称される新興宗教団体出展「ハーケンクロイツ漫画」:Birth of Blues

余計なことせず小林よしのりさんのマンガを仏訳した方が一億倍マシ。
人間性には問題ありますが、慰安婦漫画としてこれに勝る良書はいまだ現れず。


いずれにせよ「論破プロジェクト」への意見は、個別の批判の認識が正確かどうかはともかく、それなりの妥当性はあったと思う。
しかし大屋教授は一ヶ月もたっていないのに、東京都美術館から作品が撤去された件について、下記のようにツイートしていた。

なぜここでは手法に対する懸念を主張しているのか。大屋教授は文字を使った美術は頭から認められないのだろうか。たとえば漫画は絵と字をコマ割りで組みあわせた表現ではないか*3


思うに、大屋教授は言葉が強すぎる。他者を論評する時は細部に異論を述べることが多いのに、自分自身の意見は粗雑な認識や言葉づかいが多い。
現代美術について鑑賞眼がないと自認するのであれば、あくまで好みではないといった批判にとどめるべきだった。印象派は知っていても、おそらくタイポグラフィを活用した美術は知らないのだろう。
アングレーム国際漫画祭に対する一連のツイートでも、ひとつの観点として指摘すれば良かったのであって、「二度と表現の自由について論じない方がいい」とまでいう必要はなかった。

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@takehiroohya]。

*2:http://b.hatena.ne.jp/entry/http://hirorin.otaden.jp/e309280.htmlhttp://b.hatena.ne.jp/entry/world-manga.at.webry.info/201402/article_3.html等。それぞれにある韓国が一方的に政治を持ちこんだという主張は誤認に近く、どちらに対しても懸念を持つような意見はわかる。ただ一応、前者は差別者への皮肉がおりこまれていることも読めるし、後者は従軍慰安婦問題を正当化する意思がないことが追記の反論で明言されている。

*3:もちろん、字が文章化されていない漫画や、文字表現を排した漫画もある。後者の表現に挑戦した近年の作品として、テニス漫画『ベイビーステップ』が素晴らしかった。