法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

水辺へ行くのに溺れないための備えをしてないのかと批判された時

わざわざ水面の藁をつかみにいって溺れる人間心理の不思議。


何かを主張する時より、反論する時に過ったことをいう場面がしばしばある。反論前には批判側がいきすぎていると感じることがしばしばある。
反論するというのは先に批判されているわけで、どのようなことが過ちといわれるのかという基準が比較的にわかっているはずなのに、懸念されたとおりの行動をしてしまう。なぜなのか。
かといって沈黙しては不誠実と批判される場面があるし、撤回すれば誤った批判に正当性を与えてしまう場面もある。ままならないものだ。


文脈がわからない批判をされた場合、急ぎの対応としては、批判された意見や表現はいったん残しつつ、批判意見を周知することくらいしか思いつかない。
妥当な批判である場合、ただ撤回や削除するよりも、批判側にとっても証拠保全として評価されやすい。あくまで懸念の表明くらいの批判であれば、批判意見を同じように周知してもらえただけで充分と思われることも多い。
正否がわかりにくい批判であっても、いったん中立的に批判対象とならべて公開することは、そう悪い対応ではないと思う。
見当はずれな批判であれば、批判をそのまま公開するだけでも一種の反論になる。問題になりうるのは、あまりに批判が見当はずれすぎて、批判自体が名誉毀損になりうるほどひどい内容の時くらいだろう。
もちろんこれは急ぎの対応にすぎないので、いずれ批判に対する正式な回答が必要になるわけだが。