法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『劇場版 BLEACH 地獄編』

現世と霊界の秩序を守る死神。その代行となった青年が、秩序を乱す敵と戦い、秩序を押しつける霊界とも対立する。
そのような基本設定の少年マンガBLEACH』がTVアニメ化もされていた最中に、アニメオリジナルストーリーで作られた劇場版4作目。原作連載が始まってから10年目の2010年に公開された記念作品でもある。
戦いの舞台は地獄。原作でもTVアニメでも序盤に存在が示唆されただけの世界が、初めてビジュアル化された。その階層をくだっていき、ふりかかる妨害をはねのけながら、うばわれた妹をとりもどすため主人公が戦う。


TVアニメと同じスタッフが同時進行で作ったアニメ映画とは思えない、圧倒的な映像が楽しめる。絵コンテや作画監督の担当者が多くて、やや場面ごとに違いがあらわれているものの、気の抜けた絵が存在しないため、むしろ多様性のアクセントとして楽しめる。
神出鬼没にして多芸多作のアニメーター田中宏紀*1が担当した、序盤と中盤のボリュームある戦闘が特に素晴らしい。デザイン化された高速アクションと、広い空間での敵味方いりみだれる混戦を描き出した。
原作者デザインによる混沌としながら簡素な地獄と、薄暗く静かで無機質な緊張感に満ちた現世の、それぞれの情景のメリハリも印象的だった。


物語面では、舞台上で活躍する人数が少ないところがポイントだ。多数のキャラクターがいりみだれる作品の、原作連載10周年目の記念作品なのに、良い意味でそれらしくない。
本来の死神は事態への介入をさけており、少ない敵味方も物語が進むにつれて互いに数を減らしていき、最後の決戦にいたっては一対一で対峙する。少しばかり性格が異なっていたこともあって*2、活躍や出番のなかったキャラクターのファンには不評な作品だが、むしろ一本の映画としてはまとまりが良い*3
どんでん返しは予想範囲内で平凡だったが、いつまでも終わらない地獄めぐりのような戦いを描くためという意義は感じられた。
EDへの流れも、良い意味で記念作品らしからぬ力の抜けかたで、気軽な娯楽作品として見終わることができた。目的をしぼった一種のロードムービーとして完成されていた。


興味深いのが、とりもどすべき妹の、物語における徹底的な不在ぶり。キャラクターの行動理由が不足しているわけではない。むしろ、自分のためでなく他者のためだという美しい動機が、しばしば都合のいい題目でしかないと描いている。
まず主人公の妹2人からして、シリーズ本編で以前から登場しつづけているとはいえ、兄との深いつながりを描くようなエピソードは描かれない。原作やTVアニメにおいても日常の象徴であって、戦いの日々をおくる主人公とのエピソードは少なかった。
主人公の相棒である死神少女にも兄がいるのだが、相棒であるがゆえに独立した人格という印象が強く、いわゆる妹キャラクターらしさはない。兄が手助けする場面もあるが、あくまで仕事の範囲内で主人公を補佐するくらい。
何より主人公を助けるゲストキャラクターも妹をとりもどすため戦っていたのだが、その妹は姿も声も映画で全く描かれない。もちろん原作やTVアニメでも登場していないので、観客は何一つ情報をえられないまま映画を見るしかない。さすがに終盤くらいで主人公を助ける力として幻影くらいは出てくるだろうと思っていたがが、それすらなかった。
主人公たちは妹を救うための戦いに安易に友人を巻きこみ、被害を拡大させてしまった。さらに終盤の展開を見ても、他者を戦いの口実に用いることが、きわめて危険な建前に堕しかねないと明瞭に描いている。その葛藤をきちんと描いているからこそ、最後の最後に意外な存在から主人公が手助けされたことにも違和感ない。

*1:最近ではTVアニメ『ダンボール戦機WARS』第36話に前ぶれなく登板。3DCGで描かれる小型ロボの戦闘をみどころとしている子供向け作品において、手描きの魅力あふれる大規模な地下崩壊を描いた。EDクレジットを見るまでは松田宗一郎かと勘違いしたが。

*2:映像ソフトのブックレットで原作者もコメントを出している。

*3:原作連載やTV放映の最中につくられた劇場版が、作品としてまとまるよう設定を改変されることは、『銀河鉄道999』等の前例もある。