法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『許されざる者』

クリント・イーストウッド主演および監督による西部劇。1992年に米国で公開され、アカデミー賞で作品賞等に輝いた。明治初期の北海道へ舞台を移した邦画リメイクが、2013年に公開されたばかり。


娼婦の顔を傷つけたカウボーイの若者二人。保安官はカウボーイの家畜を雇用主にさしださせて場をおさめるが、かやの外におかれた娼婦仲間は我慢できず高額の賞金をかけてしまう。
その賞金で名前をあげたい若者が、イーストウッド演じる賞金稼ぎウィリアム・マニーを誘いにくる。しかしマニーは妻に先立たれて老いさらばえ、馬に乗るにも苦労するありさま。一方で大口を叩いていた若者も、実は人を殺したことがなく、近眼のため遠くを撃つこともできない。もうひとりの古い賞金稼ぎ仲間も、家庭を持つことで丸くなってしまっていた。
老いた賞金稼ぎを主軸に、西部開拓の幻想が消えて公権力の秩序が確立していく時代を、ぐだぐだな敵味方の群像劇で描き出す。


印象としては黒澤明監督の『羅生門』に近い。賞金稼ぎだけの実態が描かれるのではなく、全ての人物が愚かさや弱さをさらけだしていき、華々しくない顛末をむかえていく。それが二時間以上の尺で延々と描かれていく。
その象徴が、中盤に描かれたイングリッシュ・ボブのエピソードだ。登場時は、英国紳士然としたふるまいと、高名な賞金稼ぎらしい腕前を披露。しかし街についたとたんに銃をとりあげられ、監獄へぶちこまれる。さらにイングリッシュ・ボブに同行して伝記を書こうとしていた作家に対して、保安官が華々しい伝説の情けない真実を語ってみせる。そのままイングリッシュ・ボブは退場し、物語から去っていった。
ただし保安官の言葉が全て真実だったかというと、そうともいいきれない。終盤でマニーに対して偏見に満ちた対処をし、マニーの仲間を拷問死させてしまう。イングリッシュ・ボブに対しても、賞金稼ぎをおとしめる物語を口にしただけではないかと思える。
逆に、賞金をかけられたカウボーイの一人は仲間と娼婦を抱きにきただけで、特に相手を傷つけていない。仲間が傷つけたおわびに命じられた以上の馬を娼婦個人へさしだしたりもする。当時としてはきわめて善良な若者なのに、仲間の愚かさと、保安官の中途半端な裁定で、賞金稼ぎにねらわれる羽目になる。
それでいて保安官が小さな独裁者かというと、そうともいいきれない。あらすじでは「強引なやり方で町を牛耳っていた」*1などと説明されているが、支配の対価をえている様子ではないし、さほど自分勝手な法律を施行している感じでもない。武装する権利を重視する米国において、銃の持ちこみを禁じる法律は違和感あるかなと想像できるくらい。外部の賞金稼ぎに対しては見こみ捜査や拷問を用いるが、全ては街の秩序を最優先しているだけに感じる。
だから、秩序の維持が賞金稼ぎから公権力へ移っていく瞬間を描いていると感じられた。そしてそれゆえにマニーが保安官と対峙した時、老いたなりにイーストウッドらしい反撃を見せたことが、きわだって印象に残った。


西部劇としては、早撮りされたというだけあって、セットの質感があまりよくない。ハリボテのような街だ。とはいえ開拓された街は、先住民*2から土地を奪って開拓したものだから、薄っぺらな質感も一種のリアリティがあるとはいえるか。
美しい風景にぽつねんと作り物の街がある、その情景そのものも作品を象徴しているのかもしれない。

*1:キネマ旬報』サイトの作品解説ページより。http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=10356

*2:マニーの仲間がらみで、わずかながら存在が描かれる。