法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「少数派の意見や権利を守る」「少数派に意見表明の機会を与えたら淡々と採決すればいい」どっちだよ

大屋雄裕教授*1は専門家らしいのに、一年半で「少数派」に対する考えを変えたのか、それとも別の理屈があるのか。
附則(後) - おおやにき*2

ところで私としては、こないだの著作権法改正案(ダウンロード犯罪化部分)にせよ今回の案件にせよ議員提出法案であることに注意を促したいわけであって、なにも官僚内閣制の方が優れていたと認めろとまで言うつもりはないが政治主導とやらが少数派の意見や権利を守るという観点から見た場合に極めて大きな危険性を秘めていることについてはそろそろ理解していただきたいとは思っている。法的な適切性について立法府より行政府の人々のほうがまともな感覚を持っているというあたりに、日本における民主政のなにやらが透けて見えるようではあるのだが。

上記は2012年の夏、民主党政権時のブログエントリ。一般論として異論はないというか、むしろ一般常識のように思う。
それどころか多数決の論理で少数派の意見や権利が抑圧されていたのは、日本の政治でも昔からよく見る光景だと思っていた。政治主導によって解消されると伝えるべき相手がどこにあるのかがよくわからない。
ちなみに、ちょうど似たような話題を先日の産経新聞が記事にしていた。政治家へ一定の制約をかすことの必要性を、逆説的に示すような内容だった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131126/plc13112608490006-n1.htm

 内閣法制局は、法務、財務、総務、経済産業の4省から寄せ集めた官僚を中心に組織された内閣の一部局でしかない。それが、わが国の安全保障のあり方や行方を左右している。「法の番人」と呼ばれ、時に首相の政策判断にも逆らってきた。

 安倍は、伏魔殿とさえいわれている法制局の長官に、外務省出身で法制局勤務の経験がない小松を起用した。第1次政権からの悲願である集団的自衛権の行使容認に向けた解釈変更を見据え、ナンバー2の内閣法制次長が昇格する長官人事の慣例と法制局の既得権益を打ち破り、国際法に精通する小松を据える必要があると判断したのだ。


一方で下記は2013年の冬、特定秘密保護法案を指していると思われるツイート。

意見表明の場は与えるといいつつ、実質的に少数派の意見と権利を切り捨てることを推奨しているように読める。賛否の比率と妥当性が必ずしも同一ではないという留意は見当たらなかった。
そもそも間接民主制である以上、議員数において多数派であることは世論において多数派であることを担保しない。特定秘密保護法安が可決された経緯を思い返すと、「他人の意見を聞き入れるつもりのない頑強な少数派」は、むしろ実態として採決強行を指しているのではないかとすら思える。
「第三者が監視する政府を信じろ」なお第三者とは政府代表のもよう。「さまざまな意見を聞こう」なお一回だけ聞いたら全員から反対されたもよう。「はるかに他より時間をかけて慎重に審議した」なお予定どおり強行採決したもよう。 - 法華狼の日記


いわゆる「決められる政治」を、大屋教授は危険視しているのか当然視しているのか。
どちらも一般論のように語っているので、話題ごとの違いを見いだすことに意味はなさそう。となると、違いといえば政権が変わったことくらいになるが。

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@takehiroohya]。

*2:強調原文ママ