法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ステラ女学院高等科C3部』が戦争ゴッコにまつわる倫理を描こうとしていることはわかる

模擬銃を使って撃ちあい、さまざまな戦場を再現する遊び、サバイバルゲーム。あからさまに戦争を題材にしており、いまだ新しいスポーツであるためルールがつきつめられていない。
この作品は夢見がちな少女を主人公にすえて、サバイバルゲームを楽しむことの意味を正面から描こうとした。ガイナックスが制作したTVアニメは、その側面がマンガより強調されている。
あらすじ|TBSテレビ:ステラ女学院高等科C3部 公式ホームページ
その意義はわかるのだが、1クールという短い時間につめこもうとしたため鬱屈した期間が長く、作品そのものの娯楽性が不足していると批判をあびてしまった。


まず、現実の戦争と線引きし、スポーツとして楽しむことの意味を描いた。
第3話で大会がおこなわれ、決勝戦まで順調に勝ち進んだ主人公チーム。しかし仲間がヒットされて孤独な戦いに追いこまれた主人公は、あたかも戦場にひとりとりのこされたような気分となって棄権。仲間から最後まで戦うべきだったと指摘される。戦争ではなくスポーツだからこそ、負けが確定しても投降してはならないということ。
第4話では、銃を撃つ心構えを神社で習っていた主人公が、その神社と因縁がある源平合戦へ、幻想のようにタイムスリップ。命を奪うような弓矢勝負に乱入した主人公は、敵の矢を模擬銃で撃ち抜き、その見事さに敵味方が称賛して戦いの手が止まる。
スポーツであれば、戦闘を模した高揚感を楽しめつつ、自分も敵も傷つかない。むしろ知らない人々と交流するかけはしになる。そのようにサバイバルゲームを描いていった。
しかし、夢見がちな主人公が状況をリアルに体感していることを描こうとして、あたかも白昼夢のような表現になってしまい、共感しにくくなってしまった。映像としても、非現実感を増してしまった問題は感じた。


そしてスポーツとは何かということまで、この作品は描こうとした。
第7話以降、違法改造した模擬銃でサバイバルゲーム部の部長が狙撃される。かばってもらった責任を感じた主人公は、部長不在でも部を勝利に導こうとして、仲間と軋轢を生んでしまう。
大会において勝ち進み、第3話で敗北したライバルチームに勝利するものの、実は主人公はヒットされたことを自己申告していなかった。サバイバルゲームでいうゾンビ行為だ*1
あくまで遊びとしてサバイバルゲームをとらえている仲間と主人公はわかれ、勝利を至上目的にかかげているライバルチームへ入る。そして第10話で、ようやく主人公は自身の問題をつきつけられる。
何のためにスポーツするのか、さまざまな動機を描き、当初は対立していたライバルチームの思想も認め、視野を広げていった。実のところ、自己実現したいという主人公の動機そのものも間違ってはいない。主人公の問題は視野のせまさだ。
しかし、1クールTVアニメで4話も鬱屈した展開が連続しては、いつ終わるかの予想すらできず、視聴者がつらい。それに主人公が自身の愚かさで落とし穴にはまっていく姿は、先に主人公へ深く感情移入していないと、やはり共感をそいでいってしまう。


これがサバイバルゲームをリアルにつきつめて描写し、主人公の愚かさを視聴者が我が身にひきつけて見ることができたなら、作品全体として高評価を受けられたかもしれない。
しかし、わずか1話内で大会を勝ち進んだ第3話のように、サバイバルゲーム描写はアニメらしく強くデフォルメされているし、細かな試合経過は大きく省略されている。少女たちの可愛らしさを描くことを優先し、素肌の露出した状態でサバイバルゲームしたりもしている。
もちろん、パロディを多用した楽しい導入から、一気に主人公をつきおとす展開はガイナックスお家芸であり、予想できたことではあった。しかし短いOVAの『トップをねらえ!』は鬱屈した展開からのカタルシスが早かったし、他のTVアニメも鬱屈した展開に入るまで一定期間を置いていたように思う。同時に、放映中に不満の声をあげやすくなった視聴者側の変化もあるだろう。

*1:公式サイトにくわしい解説がある。http://www.tbs.co.jp/anime/stella/special/kouza09.html