法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

南京事件は武装で防げる事件ではないし、そもそも非武装論は左翼の専売特許ではない

友人と論争した経験にもとづいて「サヨク」を議論ができない存在と主張するアノニマスダイアリーが、はてなブックマークで注目を集めていた。
友人のサヨクくん
しかし一読して、元増田*1が自己の問題点を相手へ投影している文章としか思えなかった。

1点目はなぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのかという疑問提起

この時点で、元増田は自身が友人Aに対して「サヨク」とレッテルばりを行っている自覚があるのだろうか。
友人Aが左翼を自認しているなら別だが、下記のくだりを見ると自身の偏見を投影しているだけにしか思えない。親の思想と子の思想は同一ではないし、元増田自身も本人については知らないと明言している。

中学の頃からの友人で両親が高校の教員をされていて日教組に入っている(本人がどうかは僕は知らない)友人A

『・・・ちょっと話し変えるけど、南京大虐殺についてどう思うの?僕は少なくとも強調されすぎてることが多いと思うんだけど』

……これは察さなければならない案件のようだ。

南京大虐殺では非武装の人を日本軍がたくさん殺した。そう言ってるって理解していい?』
『もちろん』
『それは非武装でも攻撃される可能性があるっていうことだよね。しつこいけど、僕は南京大虐殺ってやつについてちょっと疑いを持ってるけど、それは別として』
『・・・』
第2の論点はここである。友人Aはここで黙ったのでどう考えているのか分からないのだが、他のサヨクの人はこの疑問にはなんて答えるのだろうか。もちろん、僕は国家として武装していない状態と都市が占領された後に非武装民がいることについて差異が少しあることを理解している。ただ、この条件下ではほぼ差異無く扱えると考えている。非武装の人を虐殺したという例(虚偽の可能性もあるが)を持ち出し、自分たちが非武装なら攻め込まれず非武装であるべきと説くその矛盾になぜ気づかないのか。

友人Aの考えについては、情報不足なので判断がつきかねる。しかし南京事件を非武装宣言が無力な根拠とする主張は昔からあるので、気づくかどうかではなく知っているかどうかの話だ。そして「矛盾」は元増田の見解であって、確定した前提ではない。
まず、南京事件で犠牲となった「非武装の人」は、民間人だけでなく捕虜もふくまれる。特に南京事件が史実だと決定づけた幕府山事件は捕虜虐殺事件だ。日本軍が「捕虜」を「処理」するために大きな「壕」を必要としたという証言も有名だろう*2南京事件を根拠にした非武装批判は、つまるところ武装解除の全否定にしかならない。
それに元増田も「差異が少しある」と書いているように、そもそも日中戦争で国民党は軍隊を持っていた。だが指揮官は首都を放棄して民間人を守らなかった。そのような経緯で南京に武装を求めるのは、民間人が武装して軍隊と戦うことを要求するということ。それに、民間人に見える人間から攻撃されることを日本軍が身勝手に恐怖したことが南京事件の一因なのだから、武装要求は南京事件を起こすことを正当化しかねない。


もし南京事件から教訓がえられるとすれば、それは自国であれ敵国であれ軍隊は究極的に信頼できないということ。事実、南京事件をふくむ第二次世界大戦の経過によって、軍隊への決定的な不信感が日本社会に生まれた。だから軍備拡張に対して嫌悪し批判する意見は、戦後日本において左翼の枠内にとどまらず存在するのだ。
たぶん元増田は小学校からやりなおしたほうがいい。南京事件の犠牲者に捕虜がふくまれることすら忘れているようでは、軍備の必要性を論じるには早すぎる。


なお、個々人が武装して敵にたちむかう思想、たとえばリバタリアニズムをうったえる根拠としてなら、南京事件をもちだせるかもしれない。ただしリバタリアンが想定する敵は、他国軍だけでなく自国政府もふくむ。つまり南京事件を根拠にして武装の必要性を認めさせたとしても、国家へ軍事力を持たせる根拠には必ずしもならない。
リバタリアニズムと異なる武装必要論に南京事件をもちだすならば、敗北必死な状況でも降伏せず、全ての民間人を戦闘にひきこんで徹底抗戦すべきという結論にしかならない。自覚していないだろうが、元増田の主張がたどりつく先は、第二次世界大戦における沖縄戦の再来だ。
もちろん元増田はリバタリアンではないだろう。友人Aとの議論例において、元増田は「どうしても沖縄に軍が必要」という主張を持ち出したくらいなのだから。元増田の論理ならば外国が軍備拡張することを止められないわけだが、そういう他国の視点を導入することができないならば、「サヨク」の思考が想像できないのは当然だろう。


ただ元増田も力不足は自覚しつつあるのだろう。批判に対して反論するエントリがあったが、具体的な話をほとんどせず、「いつか論じてみたい」と自己申告しているだけ。
興味深いご意見。 ただ、非武装であれば「戦闘行為」が発生しないのはそう..
元増田は心底から議論を求めているのではなく、自分が冷静な議論のできる人間だという自己像を守りたいだけではないだろうか。

*1:アノニマスダイアリー」の「マスダ」を人名化して「増田」と呼ぶ。今回はトラックバックツリーの大元だから「元増田」。

*2:http://www.geocities.jp/yu77799/matumoto.html