法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

タイムスリップ安保運動

このツイートでid:srpglove氏が示した設定について、どこかで見た記憶があって悩んでいたのだが、手塚治虫作品にあったことを思い出した。
ネオ・ファウスト|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL

メフィストは教授を、時間をさかのぼって1958年の過去へつれていき、若返り薬をのませます。 美しい青年に若返った教授は、記憶を失い、坂根物産社長・坂根第造にひろわれ、第一と名づけられます。
第造に気に入られた第一は養子となり、第造が胃ガンで亡くなったあとに全財産をゆずりうけます。
そして、自分の手で生命をつくりだすという野望の達成に向けて歩き始めたのです。

厳密には安保運動ではなく発端が学生運動の時代ということだし、主人公は学生運動勢力を利用するだけだし、遺作ということもあって時間改変はほとんどおこなわれないまま未完となってしまった。それでも、設定だけなら安保時代にタイムスリップしたチート主人公も不可能ではないという一例だ。


そもそもタイムスリップを利用したチート主人公は、そこまで技術や知識の格差を利用しているかというと、案外とそうでもない。物語としては、むしろささいな豆知識が大きな変化をもたらすという意外さが面白味となる。
たとえば、すでに古典となったマーク=トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』からして、信頼をえたきっかけは日食の予報にすぎない。その技術自体は、たとえば中国では紀元前から試行錯誤されていたし、過去社会を大きく動かすチート知識というわけではない。どちらかといえば日食を重大な兆しと受けとめる社会の象徴であり、むしろ物語展開においては知識と実地のずれがサスペンスを生んでいた。


だからタイムスリップ安保運動がタイムスリップ太平洋戦争より少ないのは、チートとなる技術や知識がないためではなく、タイムスリップという設定を導入してまでチートしたくなる時代ではないためだろう。
太平洋戦争と違って、対米従属を選択した日本政府に自己同一化したい読者は、右派にも左派にも少なそうだ。ならば社会運動はというと、敗北を直視したくない読者は最初から自己同一化をこばむだろうし、あえて今も自己同一化しているような人は社会運動を現在進行形の出来事ととらえていてタイムスリップの必要性を感じないだろう。


それに太平洋戦争と違って、安保運動は充分に物語化されているとはいいがたい。タイムスリップのような変化球を投げるには、その対比となる直球が少なすぎる*1
実際、個人的な観測ではあるが、安保運動や学生運動という時代の物語を好む層は、一方の勢力へチート技術を与えたいとは考えず、衝突や葛藤そのものを好んでいるように思う。だから『犬狼伝説』や『AKIRA』や『メトロポリス』のように時代設定を変えたりパラレルワールド化したりして、表層を飾りつけつつ、より衝突や葛藤が激しくよう物語化しているのではないだろうか。

*1:逆にいえば、社会運動を直球で多く描いていた手塚治虫だからこそ、『ネオ・ファウスト』という変化球を投げようと思ったのかもしれない。