法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『進撃の巨人』第7話 小さな刃

ひさびさに見た田中宏紀作画無双。立体的なカメラワークに合わせて爆発を手描きで作画してみせたり*1、ミカサが反射的に反撃した時にステップをふんで体勢を立て直すような細かな芝居作画をしたり、巨人の髪が細かくなびく特徴的な作画をしたり……


はっきりいえば、設定の整合性は良くない。よく脚本面で批判されている『革命機ヴァルヴレイヴ*2よりも悪いくらいだ。偵察や通信が全く行われないまま敵の正面に飛びこんで敗北しても、世界が残酷なのではなく組織が無能なだけという印象を持つ。
ガスの補給場所が一箇所にしかないという目標設定も不合理で、物語の都合としか感じられない*3。ガスを長期保存することが困難で、ガス採取している井戸の上に補給基地を作るしかなかったとか、一言でも説明があれば納得できたかもしれないのに。
だが、アニメは映像表現であって、設定は素材のひとつにすぎない。アニメーションとして生々しさが充分に表現され、心情をもりあげる声優の演技やBGMがあれば、ひとつの作品として楽しむことはできる。

*1:BLEACH』第341話を思い出した。

*2:基本的に状況はイレギュラーで、充分な能力を持たない烏合の衆が舞台に立っているという前提があるので、実際は設定や心情の整合性という観点からは批判しにくい。その意味では、防壁内で表層的な平和を謳歌して、戦闘に必要な技術や思想を育てられなかったという擁護が『進撃の巨人』に対しても可能ではある。今期のアニメでいうと、むしろSFと評されている『翠星のガルガンティア』こそ、長期にわたって共同体を成立させているはずなのに水や資源の循環に恒常性が考えられておらず、設定面では最も整合性が欠けているといえるだろうか。

*3:ただ、チェスのルールに対して、現実の戦闘でキングが殺されただけで必ず敗北するわけではないといっても意味がないように、不合理な設定でも序盤に目標として描かれたなら、そのフィクション性を許容することで以降の展開を楽しみやすい。むしろ設定だけ不合理でなくても、目標が示されていないと物語展開を楽しみにくいものだ。