法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『おにいさまへ…』雑多な感想

方向性としては、最後まで好みではない作品だった。雅な淑女の世界を、いつもの泥臭い出崎節で染めあげて。
後半の薔薇風呂へつかる場面などで映画『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の元ネタらしき表現が見られたり、「薫の君」と呼ばれる少女がすがすがしかったり、「宮様」と呼ばれる少女が鬼畜だったり、「ソロリティ」と呼ばれる特別な立場を無くそうと主人公たちが署名活動したり、個別に楽しめた部分はあるのだが……


何より、同性愛からは誰もがいずれ卒業するべきといいたげな展開に、鼻白むことも多かった。
もちろん、かつて同性を愛していた人間が異性を愛するようになってもいい。しかし、男嫌いが原因だったり、異性を奪うための策略で同性にせまったり、同性を愛した者が永遠に別離したり、同性愛を基本的に不自然なものとしている。
主人公が結末で新しい人を好きになったと語りつつ、その性別を特定しない台詞回しだったことが救い。


作画も当時の平均と比べれば悪くないが、かなり古びている。時々やたらと作画枚数を使った芝居作画があったが、その芝居も海外アニメのようで古い。
ただ、繊細な描線と芝居で目を楽しませてくれた第27話「マリ子刃傷事件」は、以前に見た時の印象ままに、突出して良かった。EDクレジットを信用する限りは、他の回と大きくスタッフが異なっているわけではないのだが、どこで差がついたのかよくわからない。


そして、そんなに好きにはなれない作品なのに、ひどく感銘を受けてしまう瞬間があった。特に印象深いのが、第28話「クリスマスキャンドル」と、第32話「誇り、ラストミーティング」。
それぞれ、何度も醜悪に描かれていた人物が、長広舌で自己弁護する。はっきりいって自己愛にまみれた内容であり、過去と比較して言動が一致していないと理性では批判できる。しかし、感情では別の感覚が生まれてしまう。
虚飾の皮を一枚ずつはいでいって、最後に残ったのがまた虚飾という、「おまえは虚飾でできたタマネギか」とツッコミたくなる大演説。筋は通っていないし、自己欺瞞に満ちているし。それなのに、感銘させられてしまう。
日和見的に動き、最終的に主人公側へついた人々が醜悪だったことが、自尊心をたもって内心をさらけだした人物を輝かせた、ということだろうか。それとも、滅びゆくものへの単なる哀れみにすぎないのだろうか。
意味がわからなかった。