法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『まおゆう魔王勇者』のきつさは1スレッド目でわかる

もちろん一般論として、完結した作品を評価するなら最後まで目を通してから、という意見もわかる。部分的に読んだなら、そう読んだ程度の感想でしかない。過去に言及した時は、そう私も書いた記憶がある。


ただ、『ソードアート・オンライン』のTVアニメを最終回まで見て、考えが変わった。当時に高評価された理由のひとつ、キャラクター小説として読めるという主張で考えてこそ、やはり厳しいものがあった。
とにかく読者にとってストレスにならない展開ばかり続き、その奥行きのなさが舞台の広さに反して、世界観の狭苦しさを強調する。軽いネタバレかもしれないが、戦いにおいて直面する敵は最後まで器が小さく、心地良く倒せる相手ばかり。設定上の能力や権力は強くなっても、同じキャラクターが装いを変えて何度も登場するという印象しかなかった。
どれだけキャラクターの数が増えても、それぞれ主人公側と相手側とで種類別けされた範囲にとどまり、多様性が増したという気にならない。つまり、序盤で感じたキャラクターの関係は、読み進めても反復されるだけで、最後まで変化していかない。心情的には倒したいが社会を維持するために倒せないとか、主人公側の正当性をゆるがすような敵があらわれることはない。
WEB小説として連載し、雑誌連載やTVアニメよりも直接的に読者の感想が作者へとどくことから、本当に敵と味方の境界線がぶれるような展開はできなかったんだろうな、と『ソードアート・オンライン』との類似から思った。


せめて同じ性格のキャラクターを敵味方に分散させれば、もっと世界の広がりを感じられただろう。小説技巧でしかないが。終盤に敵のナンバー2でそれらしいキャラクターが登場した時は少し期待したが、それも期待外れな結末で終わった。
はてな界隈で盛り上がった時、ことさら思想面での論争になったのも、ひとつの主題が生のまま作品に表れていたからだと、今になって思う。