法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『エウレカセブンAO』第二十三話 ザ・ファイナル・フロンティア(episode:23 Renton Thurston)/第二十四話 夏への扉

待たされただけはある、素晴らしい完結編だった。もちろん作画は極めて良好だったが、アクション巨編というよりも、社会派SFとしての楽しみが大きかった。


まず、第二十二話が放映された時点ではトゥルースがラスボスかと思っていたが、第二十三話において満足したように消滅。會川昇作品は矮小なラスボスよりも状況そのものが障害となることが通例なので、てっきりトゥルースがラスボスになるかと思っていたのだが。
かわりに父親が主人公の敵として立ち上がってくる。父が敵というだけなら普通の構図だが、父親の動機がやるせなくて、くりひろげられる華麗な空中戦も痛々しかった。子供を生かすために両親が世界や同胞と敵対する姿は、もちろん東日本大震災原子力事故のなぞらえだろうし、公害に苦しむ地域社会で普遍的に見られた姿でもあるだろう。
対して両親を止めようとする主人公は、せいいっぱいの感謝を両親へ示しつつ、自らを生みだした社会への愛着を語り、肯定する。第二十二話において、エネルギー生産の代償で病気になった患者が、自身と世界を肯定していたことを受けた結論でもあるだろう。
この第二十四話の空中戦は、劇場映画『交響詩篇エウレカセブン : ポケットが虹でいっぱい』のクライマックスと酷似している。子供を産み育てることの肯定において、子供の意思を無視して親だけで完結して見えた問題に、きちんと今作で決着がつけられた。


他にも強く懸念を持っていた2つ、トゥルースの物語における位置づけと、第十四話で登場したマーク1の正体*1、その両方に意外かつ納得できる答えが示された。やはりトゥルースの登場や退場はもう少し調整するべきだったとも思うが、最終的な満足度は高い。


そして物語の結末で、多くの者の望みが逆転する。最も世界を愛したからこそ主人公は世界と別離し、たったひとつの真実を求めたトゥルースは多様な真実を観察し続ける。
最初の願望はかなわなくても、その過程で自分が変化し周囲を変化させることで、たしかにつかめる希望もある。ジュブナイルらしい成長の痛みを、この作品は描ききった。
前作のキャラクターに愛着を持つ視聴者の不満も理解できるが、これもまた正統な続編であり、少年の成長を描いた一つの作品として傑作といいたい。

*1:いくつかの可能性を検討したエントリを上げたこともある。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120811/1344695826