法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「当時を知る韓国人(88歳)が殺されるのを覚悟で真実を語る」という嘘

下記のようなエントリが注目を集めている。
今日も拡散中 史実を探る旅 当時を知る韓国人(88歳)が身の危険を覚悟で真実を語った | 産経新聞(皇統尊崇・外交・教育・安全保障に関して)を応援する会

韓国人教授(88)が告白
殺される覚悟で言う。
韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ

ただし、はてなブックマーク*1等でも指摘されているように、本文は元記事から全文転載しており、しかも「殺されるのを覚悟で」という表現を勝手に加えている。つまりタイトルからして嘘なのだ。
逆に、取材の経緯を書いた前書きが削られており、韓国人のふりをして韓国批判本を出したことで悪名高い「外交評論家」の名前が登場していることがわからなくされていたりする。
http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm

 外交評論家、加瀬英明氏が世話役となり、10月14日(木)、東京の北野アームスで出版を祝う会が開かれた。受付で渡されたのは崔基鎬加耶大学客員教授著『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』であった。

そもそもインタビューは2006年に行われており、88歳の時の告白ではない。


この人物は、以前にscopedog氏も指摘していたように、プロフィールが不明瞭で、本当に歴史学の専門家と呼べる立場かどうか疑問がある*2。教授職にある人間でも、専門分野外では誤った主張をすることは珍しくない。
嫌韓バカのネタ元・崔基鎬 - 誰かの妄想・はてなブログ版

加耶大学客員教授」ということですが、これは歴史の本の作者紹介として適切でしょうか?

実は加耶大学に、史学に該当する学科はありません。

また、元記事の「親日派というレッテル」という見出しの部分で、植民地時代に利益を享受できた数少ない立場ということを、逆に自ら明かしている。これも下記のようにscopedog氏が指摘していた。

日本よりはるかに少ない数ながら植民地朝鮮にも映画館がありました。利用したのは、在朝鮮日本人や一部の裕福な朝鮮人でした。崔基鎬はその一部の裕福な朝鮮人の家庭に生まれています。

戦前から東京にいた私は、年に1〜2回はソウルとか当時の平壌に行きました。その当時の韓国人は日本人以上の日本人です。劇場に行くと映画の前にニュースがありましたが、例えばニューギニアで日本が戦闘で勝利をおさめたという映像が流れると、拍手とか万歳が一斉に出ます。
  私は劇場が好きで、日本でも浅草などに行って見ていましたが、韓国で見るような姿はごくわずかです。韓国ではほとんど全員が気違いのように喜びます。それは当時としてごく普通の姿ですから、特別に親日ということではありません。だから基本的に親日派という言葉はないのです。それを無理やり「親日派」という言葉のレッテルを貼って糾弾する。それが今の韓国で、政治的にやられていることです。

戦後日本で一部の金持ちがアメリカかぶれになっていたように、崔基鎬も日本かぶれの朝鮮人だったわけです。彼の目には朝鮮の民衆の姿は映っていないし、おそらく日本の民衆の姿も映っていないでしょう。

ドイツ占領下フランスのビシー政権や、通州事件で知られる冀東防共政府のように、植民地人を傀儡として利用することは珍しいことではない。
当時の証言として一つの価値はあると感じるが、当時の平均的な認識として受け取ることは難しい。そもそも、東京に住みながら年1回ほど朝鮮半島へ行く生活は、戦前はもちろん現代でも特殊な事例であることは明らかだ。
そして、実体験が反映されているらしい具体的な証言はこの前後くらい。文章の大半は、1923年生まれでも知りえないような古い歴史についやされている。


実体験から外れた歴史主張は証言としての価値がないし、個別の情報源も示されていないため通説に反する主張は信用できない。
たとえば、従軍慰安婦について言及している部分が序盤にあるのだが。
http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm*3

大勢の人が虐待されたとか、従軍慰安婦にされたとかいいますが、私にはとてもそうは言えません。それは歴史の真実を知っているからです。

しかし、以降では「慰安婦」や「売春」という単語すら登場せず、主張の根拠は不明のまま終わった。もちろん従軍慰安婦が日本や朝鮮半島以外の地域から集められていたような記述もない。
李氏朝鮮の勃興を語る場面も、独自性が高すぎる。重臣であった李成桂が反乱を起こして半島統一したことまでは史実なのだが。

  明と高麗の戦いにおいて、高麗の重臣であった李成桂が、明との戦いで遼東地方の奪回に出陣します。ところが李成桂は密かに敵と通じて、威化島(鴨緑江下流の島)で軍を翻し、逆にときの高麗王と上官の崔瑩(総理兼参謀総長)将軍を殺し、政権を簒奪したのです。
  敵国であった明の力を得て打ち立てたその後の李氏朝鮮は、明のいいなりになって当然です。貢物を要求されれば断ることができず、人妻であっても供出しなければなりません。国民は奴隷民族化され、私有財産も没収されました。そして先制王権制度を変え、朝鮮民族が古代から高麗にいたるまで連綿と持ち続けてきた国際的自尊心を放棄し、明の属国として堕落が始まったのです。

あたかも李氏朝鮮が属国化する以前の朝鮮半島が、一貫して独立して自由な国家であったかのように主張している。つまり日本が朝鮮半島を助けたという主張に繋げるため、明への属国化をことさら強調しているわけだ。おそらく、韓国蔑視を最優先にする排外思想とは相反することだろう。
ずっと後に朝鮮半島の「国難」を並べている記述を見ると、予想通りに高麗を高く賞賛している。反共産主義を優先してだろう、韓国の軍事政権時代も完全に無視している*4

 その第一回目の受難は、西暦660年の百済の滅亡と、668年の高句麗の滅亡でしょう。これは金春秋(統一新羅の太宗武烈王)の売国的行為によるものです。
  第二の反逆は、先に述べた1392年、世界に誇る文化的祖国・高麗を亡ぼし、主敵の属国になり下がった太祖・李成柱によってなされました。
  第三の国難は、第二次大戦の終戦時におけるスターリンの走狗たちによる北朝鮮占領で、百万単位の虐殺者と、餓死者を出し、1000万の離散家族を発生させました。そういう北朝鮮の政権に阿諛追従し、太陽政策という美辞麗句で、主敵に大量殺人・核武装の資金と情報を提供して、反米・反日を内面から教育している金・蘆政権は第四の国難とも言えるでしょう。

しかし、李成桂が登場する以前の高麗は、常に独立性を保てていたわけではない。日本史にも登場する元寇に代表されるように、朝鮮半島は元に服従していた時期がある。やがて元の力が衰えて明が勃興し、高麗王朝は親元派と親明派に別れた。むしろ李成桂は外国勢力を武力でしりぞけたゆえに政治力を拡大したのだし、親明派として親元派をしりぞけたという立ち位置にある*5
長く続いた李氏朝鮮は文化の停滞もまねいたらしいが、印刷や陶磁器の技術などは高かった*6。むろん階級を固定化したことは批判されるべきだが、ある意味では日本における江戸時代などとも似ている。明から清へ移り変わった間にも李氏朝鮮が続いていたことは、良くも悪くも政権が安定していたことを示しているし、従属先と運命をともにするようなこともなかった政治力をうかがわせる。
別に反乱は朝鮮半島に限った歴史ではない。李成桂の裏切りを朝鮮半島独自のものと思う場合、それは日本史の知識が欠落しているためだろう。


もちろん日朝関係史も独自性が極めて高い。

日本にとって清もロシアも大国です。その力が、清の属国になっていた李氏朝鮮、すなわち朝鮮半島から日本にやってくるという危機感が日本にありました。だからそれを防ぐために日本は、朝鮮としっかりと手を結ぶ必要があったのです。
  そこで1876(明治九)年二月、李朝と「日朝修好条規」を結びます。李朝成立後、484年が過ぎたときのことです。それは李氏朝鮮に、独立国家であってほしいという願いがありました。それが第一条にある「朝鮮国は自主の国」という言葉に表れています。これはきわめて重要な意義を持っています。

日朝修好条規を結ぶまでに、武力をふくむ衝突が延々と続いていた歴史を無視。これは韓国や日本に真実を告げるどころか、日本の歴史学でも通用しない考えだろう。
日中戦争にいたっては、反共産主義を優先して、防共戦争と位置づけている。

  中国のいう歴史認識の共有は、中国のいう通りにしろということです。そんなことはすべきでないし、できるはずもない。支那事変というのは、日本が中国共産党と戦った防共戦です。これをはっきりと認識しなければなりません。向こうはアジア、中国、日本を共産化しようとしていた。背後にはソ連コミンテルンの野望がありそれと日本は戦った。日本の軍隊がいたからこそアジアは、日本が敗れるまで共産化されなかった。日本が敗れたために中国も満州も朝鮮も共産化されてしまった。

それでは国民党をどのように位置づけているかというと、日本と戦わせることを共産党が意図していたと直後に主張している。

  結局中国共産党は戦争を一番望んでいた。昭和7年満州事変の2年後に対日宣戦布告を出しています。昭和9年にも同じようなものを出しています。蒋介石の国民党軍と日本を戦争をさせて、その間に自分たちの勢力を伸ばして中国を共産化するという戦略だったわけです。
  支那事変が始まった後、毛沢東が出した指令があります。日本との戦争では、七分の力をもって党勢を拡大せよ、二分の力をもって国民党と妥協せよ、残りの一分の力をもって日本と戦争せよというものです。

しっかりした情報源がないという段階の話ではない。反共産主義に都合のいい主張をつなぎあわせて、矛盾した位置づけを行っているわけだ。


結局のところ、まともな歴史観としてとりあうべき主張とは思えない。
しょせん植民地韓国の肯定を最優先した主張にすぎず、義務教育で習う範囲の日本史すらまともに説明できない。この「真実」を仮に信じるならば、日本が真珠湾攻撃したことも、講和を有利に進めるためにソ連の協力を期待したことも、理解不能になるだろう。
出来の悪い歴史小説のように、国や人物ごとに善玉と悪玉を当てはめただけで、複雑な多面性は削ぎ落とされている。当てはめ方法も、利益を受けていた日本の植民地時代を善玉に、そして北朝鮮を悪玉の基準とし、敵の敵を味方へ色分けするような安易さだ。味方の味方が敵になるような都合の悪い場面は無視することですまされている。

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html

*2:韓国語でインターネット検索してみたが、同名の人物ばかりひっかかって、同一人物と確信できる記事が見つからなかった。

*3:以下、2ページ目もふくめて、前後しながら枠内へ引用していく。http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu2.htm

*4:前後して、金大中大統領を「前大統領は元来、共産主義者で死刑宣告の前科もあり、北朝鮮金日成政権と密着し、骨の髄から北朝鮮の金政権支持者であることは周知の事実です」と説明しているのだが、軍事政権時代の死刑判決を肯定していなければ出てこない表現だろう。

*5:李成桂政権の弱体振りを批判するならば、まず息子達の不出来ぶりを指摘するべきだろう。

*6:後者は、ちょうどNHKでTVアニメ化した『へうげもの』でも印象深く描かれている。