法華狼の日記

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一部全国紙が従軍慰安婦問題についての「誤解」を生んだと主張する読売新聞の欺瞞

読売新聞等の主張こそ、明らかに事態の経過に反している。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120821-OYT1T01135.htm

 いわゆる従軍慰安婦問題が日韓の論議となる背景には、宮沢内閣当時の1993年の河野洋平官房長官談話が、日本の官憲による強制連行があったかのような印象を与えた問題がある。

 慰安婦問題が日韓の政治・外交問題化したのは、一部全国紙が90年代初頭、戦時勤労動員だった「女子挺身隊」について、日本政府による“慰安婦狩り”だったと全く事実に反する報道をしたことが発端となった。韓国世論が硬化する中、政府は資料の調査と関係者からの聞き取りを行い、宮沢内閣の加藤紘一官房長官(当時)が92年、旧軍が慰安婦募集などに関与していたとする調査結果を発表した。しかし、強制連行の裏付けとなる資料は見つからなかった。

 韓国側の批判はなお収まらなかったため、宮沢内閣は翌93年、慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」などとし、「おわびと反省」を表明する河野談話を発表した。韓国側に配慮し、あいまいな表現で政治決着を図る狙いがあったが、逆に強制連行があったという誤解を内外に広げる結果につながった。

日本軍はスマラン事件のように狭義の強制連行事件を起こしていたことも明らかにされており*1、「逆に強制連行があったという誤解」という主張こそ逆に誤解だ。
また、1991年に被害者として名乗り出た慰安婦は、募集段階での強制連行ではなく慰安所における人権侵害を主に主張していた。現在では慰安婦制度の様々な場面での人権侵害が問題視されており、強制連行だけが「日韓の論議となる背景」であるかのような主張も誤解だ。


何より、一部全国紙とはどの新聞で、90年代初頭とはいつのことだろうか。
実際には、従軍慰安婦問題を追及する韓国側の動きは1980年代から確認されている。1990年5月の時点でも、盧泰愚大統領来日に合わせて女性団体が謝罪と補償を求める共同声明を出していた経緯が吉見義明『従軍慰安婦』に掲載されている。以前にエントリで簡単にまとめた。
女子挺身隊と従軍慰安婦の混同は朝日新聞記事の責任? - 法華狼の日記
ちなみに読売新聞も、1987年8月14日に下記のような記事を掲載していたと小倉秀夫弁護士が指摘している。
92年1月の用語解説記事に拘る前に: la_causette

 従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。
 「お国のためだ」と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。
 特に昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋やざんごうの中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった。

女子挺身隊と従軍慰安婦の混同は、千田夏光著作の「誤読」が流布した結果と考えられる*2。しかし今となっては、1970年代の先駆的な研究に存在していた誤りを、10年以上も踏襲したことこそ問題ではなかったか。過去に日本政府がはっきりと実情の調査を拒否していた以上、一部の責任に矮小化することなどできない。
従軍慰安婦の強制連行を狭義にとどめない問題意識は、1990年以前から確実に存在していた - 法華狼の日記
つまり、被害者が名乗り出た1990年以前に歴史研究がしっかり行われていなかった日本社会全体にこそ、重い責任があったのではないか。そう思えてならない。

*1:一部の問題として例外視しようとしても、抗議に対して閉鎖するだけで関係者を処罰していなかった以上、組織の責任が問われる。また、暴力をともなう直接的な軍強制連行によって全ての慰安婦が集められたとは韓国政府も主張してはいない。

*2:http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf