法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『私は貝になりたい』

2008年のリメイク版映画が水曜プレミアシネマで放映されたので視聴。放映時間枠は2時間15分ほどなので、2時間19分の作品から相当の場面が削除されていることだろう。


映像は、全体として良くも悪くも邦画らしいと感じた。福澤克雄監督はTBS所属のディレクターなのに、大作ドラマを何度も手がけたためか、映像が重厚でTV局主導映画にありがちな軽さがない。
制作者は日本の四季を描写するために精力をかたむけたそうで、主人公が奪われた日常を際立たせる演出として、減刑嘆願のため動いた時間と距離を表す映像として、効果的ではあった。
http://www.toho.co.jp/lineup/kaininaritai/introduction.html

私は貝になりたい」という言葉を際立たせる美しい海、夫婦が歩んできた日々を彩る日本の四季。その風景を求めて、スタッフは日本の海岸線をほぼ一周したという。そんな妥協を許さない姿勢のもと、完全版のメガホンを取るのは、ドラマ「砂の器」「華麗なる一族」などの演出を手がけた福澤克雄。高知、山陰など、撮影は季節を巡り、ほぼ1年に及んだ。

珍しいのは爆撃に対応しないことを決定する日本軍司令部のセット。当時なりに先端技術を結集した合理的な場所であることが、よく視覚的に表現されていたと思う。
尾上克郎特撮監督によるVFXもまずまず。複雑な特撮を要求される場面が少ないこともあってか、ハイビジョン画質で見ても粗はなかった。
俳優はどこかで見たような顔が集まり、演技に極端な不満はないものの、草磲剛の登場場面はコントのように感じた。バラエティ番組などでは見られない、そういう雰囲気を作ってほしかった。


そして気になっていたBC級戦犯処刑については、紆余曲折しながら執行されて終わった。実際には、二等兵BC級戦犯が死刑執行された例は確認されていないのだが*1
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/books08.htm

有名なのは「私は貝になりたい」という映画です。1958年にテレビドラマ、翌59年には映画になりました。両方ともフランキー堺が、二等兵である、善良な理髪屋さん役をやります。彼は、上官から捕虜を刺し殺せ、と命令される。ところが突き刺そうとするが殺せなかった。しかし、その二等兵は戦犯になって死刑になる、末端の二等兵までもが死刑になったという理不尽さを描いた話です。

実際にこういうことがあったと信じてしまう人が多いのですが、これは明らかに事実ではありません。戦犯関係の資料を見る限り、二等兵で死刑になった人はいません。映画の「私は貝になりたい」は明らかに、まったくなかったことをあたかも実際にあったかのごとく人々に印象づけた、その点で戦犯裁判についての間違ったイメージを広めた映画です。

ちなみにリメイク映画の1年前に日本テレビ系列で放映されたドラマは、「遺書」の元ネタとなった加藤哲太郎を主人公にすえており、ちゃんと執行は直前に停止された。
『終戦記念特別ドラマ・真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」』 - 法華狼の日記
リメイク映画は終盤に助かりそうな雰囲気を作っていたが、それは執行の強行を際立たせるため。そもそも、収監された時点で他のBC級戦犯が刑執行されている描写があり、考証の正確さを狙ったリメイクでないことは明らかだった。


むろんフィクション作品の脚色を全否定したいわけではない。先日、映画の虚構が起源となった風習についてエントリを上げた時、『私は貝になりたい』も念頭にあった。
卒業式に制服の第二ボタンをもらう風習の起源について - 法華狼の日記

あえて歴史考証としてありえない描写をした、この監督の思いは印象深い。

問われるのは単に史実から乖離したことではなく、脚色してまで何を描こうとしていたか、だろう。
この映画では、主人公の日常が奪われることだけに重点がおかれている。徴兵が主人公の日常を奪ったことは序盤で念入りに描かれるものの、戦犯裁判後は忘れられていった。敗戦直後に主人公の仕事場で有力者の戦犯追及が語られる場面も、上層部の責任だけが問われて末端の主人公には関係ないという内容であり、つまりは油断させる役割しかない。
それどころか、かつての司令官が獄中で自らの責任を受け入れ、主人公をふくむ部下の減刑を嘆願した時点で、ほとんど組織の問題も免罪されてしまった。主人公に体罰を与えつつ死刑をまぬがれた他の上官は、ほとんど裁判後に姿すら現さない。減刑嘆願中にあびせられる批難も、前線で戦死した息子のための八つあたりだけ。
日本軍の組織的な責任を問わない一方で、米軍も漠然とした集団としてしか描かれない。瀕死だからと主人公に度胸試しさせるため磔にされた米兵も、映画は名前や人格を描こうとしていない。その米兵が直前に無差別爆撃を行ったということすら、上官が煽り立てるために言及するが、主人公の感情を動かすことはなかった。戦犯裁判においても、外国人は被告の主張をいっせいに嘲笑したり、裁判官が感情的に主人公を怒ったり、ほとんど固有性を描かないまま終わった。例外は、主人公の妻が子供をつれて面会した時に立ちあっていた憲兵くらいだ。


結局、遺書の元ネタからそのまま題材を引いただけにすぎず、戦犯裁判が舞台として必要な物語と思えなかった。
戦犯裁判を受けた日本軍末端を描いた作品で良いと思ったのは、私が最近に見た範囲では、NHK制作の『最後の戦犯』くらいだ。善良な主人公が罪を犯すまでの行動も、たしかに罪が存在したのだと逃亡中に向きあっていく過程も、BC級裁判を不当と主張するだけに終わらせず、きちんと現代ならではのドラマになっていた。
『NHKスペシャル』最後の戦犯 - 法華狼の日記
今回の映画も、橋本忍本人によるリメイク脚本なのだから、たとえば『羅生門』よろしく米兵の死は誰に責任があるのか監獄内で問い続けるような物語などが見たかったかな。

*1:死刑判決が出た後に減刑された例はある。