法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『写楽 閉じた国の幻』島田荘司著

回転ドア事故で息子を亡くし、研究を支援してくれた家族からも見放され、社会的にも抹殺されかけた葛飾北斎研究者が、生きるよすがとして写楽の正体探しにのめりこんでいく。
思考のきっかけとなった肉筆画から、平賀源内説が展開されていく。しかし、そもそも写楽が活躍した時期すでに源内は獄死していた。それとも源内は生き延びていたのか、その背後関係に江戸時代の閉塞感が介在していたのだろうか。
仮説が立てては崩されながら、やがて綱渡りのように数字が符号し、写楽を生み出した巨大な計画が浮かび上がっていく。


近年の島田作品として見れば、最高傑作ではないだろうか。
後書きで書かれているように頁数がきびしかったようで、裏面の物語がにおわされつつ表に出ないまま終わり、作中で未解決なまま放置されている要素も多い。特に発端となる肉筆画の処理はもう少し説明するべきだろう。回転ドア事故の裁判や家族との断絶も、もっと結末まで描いて良かった。図版や地図といった資料がいっさいないことも頁数の制限によるものだろうが、残念だった。
しかし結果として『水晶のピラミッド』以降の長編島田作品に見られる冗長さも削られた。連載小説ということもあってか、整理のために同じ主張や説明が何度も語られるが、充分に許容できる。探求と独立したミステリらしい事件が存在せず、あくまで写楽探索を中心にすえているところが、歴史推理では案外と珍しい。平賀源内が起こした殺人事件なども俎上にのぼるが、あくまで写楽探索の過程としてであり、新たな謎を付与したりはしない。追いつめられた主人公へ絶妙なタイミングで光明が差し、写楽の正体探しへ興味を引き続け、分厚い作品ながら飽きずに読めた。
ミスディレクションのためだけに書かれたようなパートも存在しない。間違った仮説に基づく調査過程はあるが、魅力的な真相を目の前に示すことで前半の興味を維持させ、同時に謎解きに必要な情報を自然に説明する。短くはさまれた江戸編は、きちんと主人公の謎解きに並行し、写楽誕生の経緯を魅力的に描き出す。
そう、ただ写楽の正体が特別な人物という観点に終わらず、そういう特異な作品群が商業作品として発表された謎を枠組みにおくことで、誕生の経緯を描いた江戸編が単独の物語としても魅力がある。版元である蔦屋重三郎を主人公とした、権威を笑い飛ばす計画を仲間と小粋に遂行する、痛快な娯楽活劇として楽しめた。
そして最終的に出された写楽の真相は、確かに作中で提示された謎を説明するにあたっては合理的で、かつ小説の主題をしっかり支えている。過去の諸説を取り込みつつ、意外性も充分にあった。


むろん、歴史推理小説として充分な説得力は持っているが、そのまま歴史学において採用することは難しいだろう。
特に、通説となっている斎藤十郎兵衛説を却下する根拠が弱い。武家につかえる能役者が庶民の娯楽にふれるわけがないという主張と、正体を隠し続ける動機がないという主張くらいしかない。この二つの主張は、実のところ作品が示した真相にもそのまま適用される。つまり、庶民の娯楽を描いたと公表できない立場だから正体を隠したのだと説明すればすむ。
自信の無さが現れているためか、却下にいたる描写そのものが短い。残された資料に斎藤十郎兵衛を示す文章が多いところは、うまく資料間の齟齬を指摘して別人と混同されているのだと説明しているが、それは反証とはいいがたい。
優越しているのは、他の絵が残っていないことくらいか。短期間だけの活躍に終わったこと自体は、江戸滞在が短かった斎藤十郎兵衛説でも説明できるが、生涯に他の絵を描いた形跡がないという批判は通用し続ける。一方で島田説は絵が残されていない理由に説明がつく。


ちなみに、作中では写楽の肉筆画が主人公の発見したものしか存在しないように説明され、その肉筆画も架空であるため結末で偽造をにおわせるという処理を行っている。
しかし、実際には肉筆画と思われる作品が数点存在している。その肉筆画が同時代の有名な画家の描線と異なっているところは、作中の真相を支えるといえなくもないからこそ、うまく作中にとりこんでほしかった。