法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

生活保護の不正受給について、2000年における報道記事を紹介

生活保護受給者に対する偏見は、一人の政治家によって醸成されたものでも、政権交代以降に発生したものでもない。
たとえば「ナマポ」という言葉を検索してみると、2004年時点でも定着したジャーゴンとして確認できる。
【ナマポ】生活保護野郎の裏事情【マンセー】
個別の問題に切り分けたり、拡大させた要因も批判すること自体は、もちろん悪くない。しかし偏見が社会に古くから根強く存在し、片山さつき議員らはあらかじめ存在する偏見を代弁したものであることの注意は必要だろう。
片山議員が政治家をやめて表舞台から消えても、偏見が社会に残り続ける限りは第二第三の片山議員が登場する。いや、片山議員自身も第二第三のそれなのだ。


ここで過去の報道を紹介したい。2000年12月4日の四国新聞に掲載された特集記事だ。
四国新聞社
基本的に不正の問題をうったえ、比率として極めて少なくとも、表に出ていない不正も含めて問題視するべきといった論調だ。
ただし、不正受給を入り口にして、生活保護をめぐる大きな問題にも注意が向く記事になってもいる。それは冒頭を読むだけでもわかる。

 一億七千二百万円。先ごろ、会計検査院の調べで判明した高松市生活保護の不正支給額だ。件数はわずか四十五件だが、額は全国最大規模。「生活保護に不正は付き物。こんなのは氷山の一角」という声もある。なぜ、こんな事態になったのか。何が問題だったのか。受給者のモラル違反、行政の怠慢はもちろんだが、その背景には、増加傾向にある生活保護費を抑制したい厚生省の意図も見え隠れする。現在の生活保護法が施行されて、ちょうど半世紀。今回は、不正受給問題を通して、生活保護制度の現状と課題を探った。

不正受給のみが問題だというなら、「増加傾向にある生活保護費を抑制したい厚生省の意図も見え隠れ」と批判的な表現が使われることはない。


特集記事の前半「ワースト1」という章では、様々な不正受給例が語られ、暴力団がかかわった事例も紹介されている。

 暴力団幹部ら三人が生活保護費をだまし取ろうと、高松市役所に虚偽の住民異動届を提出。「夫婦仲が悪く、別居しているため収入がない」と生活保護費の受給を申請、一―三月の生活保護費計約四十六万円をだまし取ったとして、高松北署は、この三人を詐欺の疑いで逮捕した。
 このケースは警察側から行政に確認し発覚した。全国的にみても「まだ行政側から告発することは少ない」(県警本部)が、「警察と連携し、暴力団だと確認されれば支給しない、というシステムづくりも考えなければならない」と、市保護課の草薙功三課長は前向きだ。


しかし、中盤の「適正化」という章では、不正受給問題がカギカッコつきの「適正化」に繋がる懸念もていねいに指摘されている。

 「また生活保護の認定が厳しくならないか、それが心配ですね」。今回の不正受給問題について、四国学院大の金永子教授(公的扶助論)は、こんな懸念を指摘する。  それは、問題が起きるたびに「適正化」の下に締め付けが強化されてきた経緯があるからだ。

「●網からこぼれる」という小見出しでは、当時の制度そのものへの批判も記述されている。たとえば、多額とされている生活保護費が、社会保障費全体から見て比率が下がっているという指摘もある。

 締めつけ強化の懸念とともに、問題点として指摘されるのは制度の網からこぼれ落ちた人々の存在だ。
 例えば、ホームレスや外国人。居住地や国籍の制限から生活保護を受けられない人をどうするか。
 在宅で自立生活をしようとする障害者にとっても、現在の扶助額は最低生活を保障したものではない。
 金教授は「生活保護は、憲法で定めた生存権を保障する制度だが、実際にはそうなっていない」と指摘。「不正受給よりも、むしろこうした制度の不備や運用の問題に目を向けるべき」と訴える。
 制度が始まって五十年。生活保護が、社会保障費に占める割合も一六%余から二%にまで減った。生活保護はどうあるべきなのか。不正受給問題は、その在り方まで問いかけている。


最後の「機能不全」という章では、発覚した不正受給が「氷山の一角」でしかないという市幹部の主張を紹介し、「人権保護と板ばさみも」などと人権を障害であるかのように表現すらしている。

 担当職員にも同情すべき点はある。そもそも「性善説」の考えに立つ生活保護法は、プライバシーの保護に厳しい縛りをかけている。収入に不審な点があっても、事業所に照会するには本人の同意書が必要。同意が得られなければ、そこから先には踏み込めない。

しかし上記の主張に対して、前後する「適正化」の章では下記のように矛盾する主張がなされていた。
三人の記者が特集記事を担当していることから、あるいは記者相互で異なる認識があったのだろうか。

 資産や預貯金の調査、仕事先に対する収入照会、扶養義務者への問い合わせ…。「生活保護世帯にプライバシーはない」と言われるほどで、厳正にチェックしようとすればするほど、申請者の心理的抵抗は大きくなる。  「かつては『水ぎわ作戦』といって、申請自体を抑制しようという考えもあった」と金教授。「ただでさえ負い目を感じているのに、被保護者の権利を無視したような調査では、ますます申請がしづらくなる」と疑問を投げかける。

しかしここでも「水際作戦」について「かつては」などと過去形で語っていたりと、生活保護不受給の問題を楽観視しており、現在の目で見ていたたまれない。


いずれにせよ、特集記事のしめくくりでは、取材班に迷いがあったことが書かれている。不正受給の率が低いことも言及されていた。

 生活保護を取り上げることに、実はためらいがあった。四十五件という数字は高松市の被保護世帯数のわずか一・五%。大半の被保護者はルールを守り、保護費を節約しながら慎ましやかに暮らしている。一部の不行跡を厳しく問いただすことで、生活保護制度そのものへの偏見を助長しかねない恐れがあった。
 しかし、不正はやはり不正。しかも、暴力団員による制度の悪用も少なくないと聞いては、筆を折るわけにはいかなかった。

疑問点も散見されるが、それもふくめて2000年時点の新聞記事に見られる生活保護問題の記録として、有意義に読める特集記事だろう。