法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

慰安婦制度を擁護する「親日保守の韓国人」の文脈をねじまげた2ちゃんねるスレッドを、まとめブログが検証しないまま転載

冒頭で「編集元」として元のスレッドを提示しているだけでも、これでも使える部類ではある。しかし情報源となった元ページと読み比べると、細かな場面で印象が異なる。
http://alfalfalfa.com/archives/5581316.html

1 茶トラ(愛知県) :2012/06/07(木) 23:17:56.20 id:o3l61vHY0● ?PLT(12101) ポイント特典
日本会議川崎北支部主催で、元韓国空軍大佐崔三然氏の講演会が行われ、出席してまいりました。
http://www.sns-freejapan.jp/2012/06/01/1552/


私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。


そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。
人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である。


従軍慰安婦問題
韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっている。


とんでもない、慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。


もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐○や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。


彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。


日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。

まず、情報源とされているページを読むと、2ちゃんねる転載時に断りなく省略され*1、一部だけ抜粋されていることがわかる。
かなり長い講演会だったらしく、私も2ちゃんねるへ転載された前後を補いつつ、あくまで抜粋するように見ていこう。
【親日保守の韓国人はどこへ行ったのか?】 #慰安婦の碑撤去 #政治 #freejapan | FreeJapan

 12月10日、日本会議川崎北支部主催で、元韓国空軍大佐崔三然氏の講演会が行われ、出席してまいりました。
 私は漠然とした疑問を感じ続けていました。私の子供時代、韓国の対日感情はここまで悪くは無かった。韓国の国民がここ数十年如何に反日教育を受け 続けていようと、かつては日本人として日本の教育で日本の価値観を学び、併合から戦前の状況をその教育の中で把握している…そんな中には親日的な韓国人も まだ多く存在しているはずだ。またその子供や孫もまったく話を聞いていないはずはない。そんな親日的な韓国人は一体どこに行ったのだろう?と。

元ページですら、親日的な韓国人の存在こそが主な興味対象であって、「証言」は重要視されていないことがわかる。
これ以降にも長い「前置き」が続き、発言者のプロフィールも掲載されている。

※崔三然氏プロフィール
1928年、朝鮮半島生まれ
1943年、少年兵として大日本帝国陸軍幼年学校に入校
終戦後、半島に戻り韓国空軍に入隊
空軍大佐として退役、以後は工業関係の会社顧問などを歴任

日本軍の内部事情について一般人より当時に知る機会はあっただろう。しかし慰安所を実際に見聞したかは疑わしいし、1937年に日本軍が起こしたとされる南京事件について直接の見聞を持つ機会があったとは思いがたい。逆に、1943年から1945年までの間は、朝鮮半島における慰安婦募集の状況を間近で知ることが難しくなっている。
崔三然氏の南京事件従軍慰安婦についての認識は、あくまで当事者や目撃者や専門家ではない一個人が戦後に出した見解であって、歴史学をゆるがすような「証言」たりえない。当事者である従軍慰安婦の証言とは、そもそも比較しようがないし、相殺などできないのだ。
なのに「年寄り」とだけ表現し、学校に通った時期も隠した2ちゃんねる転載者は、崔三然氏が当事者であったかのように誤読されるよう期待したのではないだろうか。ちなみに元ページ内を検索すると「年寄り」という言葉は用いられていない。

 私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。
 そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。
 人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である。


 例えばインドと比較してみればよい。インドは朝鮮半島と違って、インフラ整備も遅れ、識字率も低いままだ。

戦前日本がインド独立の闘士を失望させた歴史や、東京裁判において日本に有利な意見を出したパール判事が南京事件の実在は認めていた*2ことなどを考えると、複雑な気分になる。

従軍慰安婦問題


 韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっている。(※講演時、未完成)


 とんでもない、慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。(※この言い回しが、崔氏と同い年の実家の父と全く同じで、何だか驚いた)


 もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。
 彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。
 日本人はあまりにも良心的で素直過ぎる。


 こういった問題には、別の方角からのアプローチ(アナザーアングル)が必要だ。国際協調など他国を味方につける等考えるべき。
 蒋介石の手口、他国に働きかけ、ついにはアメリカやロシアを取り込んでしまったやり方も参考になるだろう。

(※参考までに、崔氏と同い年の実家の父の証言も。


従軍慰安婦の碑?何言ってんだか…。あの女性たちは、大変結構なお給料をいただいておってだねえ、当時は日本からもその筋の女性たちが大挙して働きに行ったんだよ?朝鮮で、嫌だと言う女性をぎりぎり(無理やり)捕まえる必要なんか、全然無かったんだから。 そもそも当時は同じ日本で、日本国民で、同じ法律ですよ?そんな事をしたら大騒ぎになるだろうが(笑)」


「ただ、当時の本土と同様、親のために泣く泣く売られていった娘もいただろうし、女衒(ぜげん)に騙された女性もいただろう。そういう話は聞いた事がある。そういう女性は大変気の毒だとは思うが、日本が国としてそういうことをやったか、と言えば、それは絶対無い。これは断言できる」


今は韓国人と日本人。しかし育った場所に半島と本土の違いはあっても、生まれてから10代まで同じ日本人として日本の教育を受けた、84歳同い年の二人の男性の証言である。)

このように、最も大きく取り上げられている従軍慰安婦についての言及で、最も細かな編集が断りなく行われている。
まず、「崔氏と同い年の実家の父と全く同じ」という感想を削除したため、元ページ作者が父親の証言も紹介していることがわからなくなっている。元ページ作者の父親は、国としてやったことは否定しているが、人身売買例が日本本土と同様にあっただろうという伝聞も同時に証言している。もちろん当時でも人身売買は違法だ。
次に、先に指摘したように、1928年に生まれた崔三然氏は、1945年になった時点でも18歳にすぎない。日本軍に入っていたといっても、国外の慰安所状況をつぶさに観察できるような立場にあったとは思いがたい。元ページ作者の父も同年齢だから、やはり国外の慰安所状況について個別に知る立場ではなかっただろう。
慰安所は太平洋戦争の拡大にともなって、各地で開設され、現地で募集も行われ、日本軍が管理していた。アジア女性基金サイトにくわしく解説されている。
慰安婦とは―太平洋戦争と慰安所の拡大 慰安婦問題とアジア女性基金

 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争がはじまると、日本軍はシンガポール、フィリピン、ビルマインドネシアに攻め込みました。南方に占領地が拡大していくとともに、そこにも軍慰安所が設置されました。この新しい局面での南方占領地の慰安所への女性の確保については、決定的な転換がおこったようです。1942年(昭和17年)1月14日付けの外務大臣の回答によると、「此ノ種渡航者ニ対シテハ{旅券ヲ発給スルコトハ面白カラザルニ付}軍ノ証明書ニ依リ{軍用船ニテ}渡航セシメラレ度シ」とあります。外務省も、内務省と警察も関わらないところで、南方占領地への慰安婦の派遣は完全に軍が直接掌握することになったようです。

 さらにフィリピンとインドネシアなどでは、地元の女性も慰安婦とされました。 インドネシアでは、倉沢愛子氏の研究によれば、居住地の区長や隣組の組長を通じて募集がおこなわれたようです。占領軍の意を受けた村の当局からの要請という形の中には、本人の意志に反して集められた事例も少なくなかったと指摘されています。


 このほかに、インドネシアでは、収容所に入れられていたオランダ人女性を連れ出して慰安所におくりこむことが行われました。その中で純粋に強制的に連行された女性は全体の3分の1から5分の1だといわれています。スマランでのケースは戦犯裁判で裁かれ、1人の日本人将校が処刑されています。

広範な地域で多様な問題が起こされていた。日本軍に入っていたとしても、後方から若くして個別の状況を確認できたとは思いがたいのだ。


最後に、崔三然氏らが正直に認識を述べているとするならば、それこそ慰安婦制度の非人道性の心理的な傍証ともなりうる。
元ページに書かれている話は、当時に後方で少年時代をすごした男達が、「慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていた」という観念を持っていたという話だ。高い給料をもらっていたことだけを擁護の材料として用い、慰安婦の意思が尊重されていたかどうかという争点は言及もされていない。
体だけでなく心まで奪いながら金ですませようとする態度が、どれほど罪深いことなのか、きっと理解していないのだ。

*1:太字等の文字強調は、2ちゃんねるのシステム状でしかたないが。

*2:http://www.geocities.jp/yu77799/palsaikou.html