法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『エウレカセブンAO』第三話 スティル・ファイティング(episode:03 secret operation)

補助金で飼い殺されている描写を沖縄批判と読むとすれば、あまりに安易すぎるだろう。金で心を買う問題は、今日的な社会問題であり続けているが、問題提起としては極めて古典的だ。
寓話として読めば、不充分な独立しかはたせていない沖縄諸島連合の状況は、本土と沖縄の関係だけを射程においているわけでもない。日本社会各地の現状としても考えることができる。
狭い共同体において主人公親子が不満のはけぐちとして差別される様子も、それぞれの立場における視聴者自身のように読み取ることが求められている。


映像作品としては、中盤の道場における思想のぶつかりあいが面白い。立派であろうとして、そう成れない大人達の衝突が、痛々しく描かれた。
暗く狭い舞台で主人公を拘束し、弾き語りしながら内心を伝える大人、そこへ次々に闖入する人々。道場を破壊する大がかりな場面もふくめて、あたかも舞台劇をアニメ化したかのようにも見えた。
子供達が主人公を差別する前半の描写に、子供のそういう行動は親を見てのものだと思っていると、これも中盤の激突で指摘された。自分が差別したのは親を見てのことだと、かつて子供だった者が叫ぶ。自己批判でもあると同時に、やはりいくらか責任転嫁の側面もあるだろうし、だからこそやるせない。さらに、かつて子供だったが大人にもなれていないことを示すかのように、親を批判したばかりの口で、自らも主人公へ指示を与え、強制的に連行しようとする。
しかし主人公は、様々な立場の意見を聞くしかなかった物語の結末で、初めてはっきりと自らの意思で動き出す。島の民から「うみきょんちゅ」と呼ばれている岩を砕きながら、真に「うみきょんちゅ」と一体化し、戦いへとおもむく。誰かにいわれたためでなく、自らを傷つけたばかりの島を守るかのように。


コンテは寺岡厳と京田知己の連名。全面的な戦闘は描かれていないが、結末で主人公機が岩場を破壊しながら戦場に向かう爽快感は充分だった。
主人公が活躍する代わりのメカ描写としては、別勢力が地上と空中で手分けし、雑魚を機関砲で撃破していく防衛線が描かれた。戦闘の緊迫感より、敵味方の機能や動作をじっくり映像で説明していくところが見所。メカ変形のフェティッシュな描写は、あまり前作ではなかった魅力だ。