法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『エウレカセブンAO』第二話 コール・イット・ホワット・ユー・ウォント(episode:02 AO's cavern)

バンダイチャンネルで視聴。最速放映からは1週間以上も遅れているが、社会の描き方についてインターネット世論の大勢と合わないことが予想されるので、むしろ私個人の精神衛生にはありがたい……と、自分をなぐさめることにする。
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内容そのものは堅実だが、期待以上の出来だった。
まず、連名であることを考慮しても、アクションアニメとして良い意味で會川昇脚本らしくない。作画の良さがアクションの興奮と結びついている。代表作『鋼の錬金術師』のように、會川昇脚本では、戦闘の帰趨と物語の展開が関わらないことが多い*1。それがこの作品では戦闘にたっぷりの尺をとり、一つの勝利達成から、争奪対象である主役ロボットの隠匿、別勢力の少女と出会う場面まで描いて、次回に引いてみせた。戦闘の経過が少しでも異なれば、今回の顛末は全く違っただろうと思える構成だ。
戦闘描写そのものも、操縦技術がつたない主人公と、装備の少ない主役ロボットだけで存分に楽しませてくれた。敵の目的と主人公の守るべきものを提示しつつ、手際よく設定も説明し、惜しみなく多彩なギミックも展開した。高水準な作画を活用しつつも、映像の快楽をそれだけにたよらない。水陸空すべてを舞台にして、場面ごとに戦闘スタイルも変え、映像に変化をつけていく。主役ロボットの勝利も、覚醒だけで戦闘を終えず、主人公の思いつきと決断で勝敗を決したので納得しやすい。


それでいて、各国のパワーゲームの元に成立し抑圧されているらしい沖縄諸島連合を悲劇の被害者として美化することは避けているし、自身が守った共同体において主人公は「ガイジン」として差別される。こうした重層的な抑圧の手なれた描写は、良い意味で會川昇脚本らしい。
それも、過去の會川脚本で散見されたような、個人の卑劣さに回収されかねない露悪的な抑圧ではない。あくまで個々のキャラクターはそれなりに善良な面を持つように描かれ、密輸者も主人公を導き、軍人は対立したばかりの相手を救助するよう叫ぶ。個々人が善良だからこそ、社会構造そのものの問題が浮かび上がる。


地味に興味深かったのが、前作で不評気味だったサブカルチャー要素だけでなく、前作で好評だったボーイ・ミーツ・ガール要素も抑えていたところ。
あくまで主人公が主役ロボットを得て、代償に外見が変化して差別される「外人」と化したところが物語の主軸だった。
その良さは、物語が散漫になっていないというだけではない。
身の回りの好悪だけで描かれる日常系でも、個人の情動が世界に直結するセカイ系でもない。それでいて社会問題を物語にとりこんだ社会派とも違う。主人公を軸にしつつ、その周囲を人々が十重二十重に繋がっていて、徐々に視野を広げて社会と向きあっていく予感がした。あたかも、古き良き児童文学のように。
だから、孤独に夜の村を歩いて帰った主人公が、知りたくない会話を盗み聞きしてしまう結末が、いかにもジュブナイルらしく感じられる。大人の社会を子供が覗き見る描写は、ジュブナイルの定石そのものだ。

*1:劇場版の水島監督インタビューでも、そのことが語られている。http://www.style.fm/as/13_special/mini_050916.shtml