法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

白燐弾規制というリアリズム

坂口安吾 もう軍備はいらない

 原子バクダンの被害写真が流行しているので、私も買った。ひどいと思った。
 しかし、戦争なら、どんな武器を用いたって仕様がないじゃないか、なぜヒロシマナガサキだけがいけないのだ。いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ。


白燐弾の機能や実戦で用いたことによる被害について、D_Amon氏が詳細なエントリを上げていた*1
白燐弾報道において被害者も報道も人権団体も嘘つきではない(追記あり) - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

白燐弾は必要性能を満たす兵器であり、実際に戦場で焼夷兵器として利用されてきたわけです。
にも関わらず「焼夷効果を狙うならナパーム弾などもっと焼夷効果が高い兵器を使えばいい」というような感じでその現実の方を否定する人々がいるのが白燐弾報道否定論の実態です。

映像や写真の視覚効果が絶大なためか、今回は白燐弾による被害の存在まで否定するような反論は見当たらない。
しかし、はてなブックマークに、それぞれ軽重はあるものの開き直りと読めるコメントも散見された。
はてなブックマーク - 白燐弾報道において被害者も報道も人権団体も嘘つきではない(追記あり) - 非行型愚夫の雑記

id:Mikagura 軍事
(指摘があったので誤り部分削除)/問題はそれが法で禁止された武器なのかどうかと、使用方法の問題でしょう。該当兵器の存在自体を特別視すべき理由が見当たらない。 2011/11/15

id:Yagokoro
反戦平和団体のアホな所は、これで白燐弾使用を批判しちゃったり反軍備訴えたりしちゃう所だろ。爆弾落とされるよりは先に爆弾落とすってのがイスラエルの現実主義。 2011/11/15

id:dagama
戦争なんだからぶっぱなせばいいじゃん 2011/11/15

id:yingze
やはりユダヤ人は根絶やしにしなければならないな。一人もいなくなれば争いも無くなる。 2011/11/15

戦争全てが残虐だから兵器を個別に制約する意味がない、という類いの反論は白燐弾の話題でよく見かける。引用したコメント群では最も誠実な内容だが、それゆえにMikagura氏のコメントがわかりやすい。
特定兵器の残虐性に目を奪われ戦争全体から目をそらすことは本末転倒という論理は、確かに原則として正しい。相対的に残虐でない殺傷方法でさえあれば許されるというわけではない。後述のエントリで紹介されている「ユートピアニズム」という思想にも通じる。
しかし、白燐弾の残虐性を低く見積もることで擁護する主張にも同じ論理を適応しなければ、片手落ちではないだろうか。はてなブックマークを見ると、根拠を提示されたことを「ネチネチ」と論者の態度問題にすりかえつつ、「煙幕弾のなかでは一番人道的wな方」と白燐弾を評するコメントもある*2

id:khwarizmi はてさ, military
はてさのネチネチさに驚き/対人地雷禁止がなければ軍オタも笑ってスルーだったんだろうけど。煙幕弾のなかでは一番人道的wな方じゃない? 2011/11/15

もっとも、khwarizmi氏とは別の文脈で、白燐弾が「人道的」な兵器として用いられている可能性もありうると私は思った。国際法上の規制から言い逃れるため煙幕弾を転用しているという一説をD_Amon氏は指摘しているが、あるいは使用する側の良心を痛めないためにも煙幕弾が使われているのではないかと私は勘ぐっている。訓練された兵士でも、敵を殺すことにためらいをおぼえるものだ。
むろん、良心を痛めず攻撃ができるようになれば、兵器そのものの殺傷能力は抑制されていても、より激しく戦禍を広げかねない。
高性能ロボット兵器で「戦争」が変わる、問題も山積 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 実際、巡航ミサイル空爆などの多用で、米国民の中には戦争は遠く離れた場所での出来事だとの意識がますます強まっている。こうした中、ロボット兵器が「痛みを感じない」軍事行動を増加させる可能性があると、元米国防次官補のローレンス・コーブ(Lawrence Korb)氏は警告する。

この文脈において、特定兵器にだけ注目してはならないという批判が成り立つ。残虐性を許容するためではない。


さて、ここで「リアリズムと防衛を学ぶ」というブログを紹介したい。軍事の話題をあつかったブログとして著名かと思うし、過去に私も何度か言及した。
そのブログ主のzyesuta氏が、ブログ名に用いた「リアリズム」について、国際政治学上の意味を解説したエントリがある。
http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20081226/1230261277

善である人間があるべき知識や理解力を持てば、社会制度の悪や矛盾は完全に解消される、とユートピアンは考える。
国際社会でいえば「世界中の人がそう願えば、争いがない平和な世界がすぐにでも実現する。だって争いが好きな人なんていないから」という考えだ。

リアリズムはユートピアニズムから決別するところから始まった。「現実は非情である」という立場だ。
リアリストによれば、世界は本来、矛盾している。それはもともとそうなのだ。世界はいろいろな人々の相反する利害の世界だ。あっちの利益とこっちの利益が対立している。

リアリズムの考え方を一言で説明した名言がある。
「絶対善の実現よりもむしろ、より少ない悪の実現を目ざすわけである」(モーゲンソー 国際政治p3)
この観点から国際政治をみて、道徳的にベストではないかもしれないが、現実的にベターな選択ができるようにしよう、という考え方だ。

ざっくりと言い直すなら、ゆっくり進歩していこうという考えが「リアリズム」といったところだ。
ならば、徐々に戦争の制約を増やしている現代社会のありようもまた、一種の「リアリズム」と呼んでもいいのではないか。過去にはダムダム弾クラスター爆弾が規制され、現在では白燐弾も俎上に上げられているように、非人道兵器という認識の枠が広がりつつあることは、「より少ない悪の実現を目ざす」ことそのものだろう。
仮に、白燐弾を問題視しようとする動きをリアリズムと評価して否定するならば、平和主義者がユートピアニズムを志向することは当然だ。逆に、ユートピアニズムを志向する平和主義者を夢見がちなどと批判するならば、白燐弾のように個別兵器から規制していこうという運動そのものは否定できないはずだ。


ついでに、少しばかり余談となるが、一つ釘を刺しておこう。zyesuta氏のエントリに対して、はてなブックマークで下記のようなコメントがついている。
はてなブックマーク - リアリズム(現実主義)という理論があってだな - リアリズムと防衛を学ぶ

id:saloth_sar 本文とは無関係
昨今の誤解やイチャモンを見ると、「リアリズム」の定義をもう一度確認させるため、このエントリを再掲したほうがいいと思いますね。 2010/11/10

この2010年のコメントに対して、zyesuta氏もはてなスターをつけている。
しかし仮に「昨今の誤解やイチャモン」が、現実主義を標榜しながら実態として現実から主張が乖離しているという批判であるならば、それは失当だろう。
一例として、zyesuta氏は2009年に下記のようなエントリをあげていた。saloth_sar氏がコメントした1年以上前のことだ。
平和の達成は戦争の理解から始まる - リアリズムと防衛ブログ*3

90年代以降の日本では、いわゆる「反戦平和主義」が急速に凋落しました。その理由はそれら戦後平和主義の非現実性にあったといいます。

いわゆる戦後平和主義の思想が「非現実的」なものに終始したのは、彼らには現実的な議論をする必要がなかったことと関係しているでしょう。戦後平和主義をさかんに提唱・主導したのは旧社会党とその周辺人士たちです。彼らは実際に政権を持っていたわけではなく、かつ政権交代をリアルに想定していたわけでもありませんでした。従って、ただたんに平和の大事さを説くばかりで、「いかにして平和を実現するか」という具体的手段については論じなくてもよかったのです。

90年代以降、自民党の凋落にともなって旧社会党の政党・政治家が実際の政策におよぼす影響が強まると、たちまちこの非現実性が暴露されてしまうこととなりました。

上記エントリの「現実」が、国際政治学でいう狭義の「現実主義」にとどまっていないことは自明だろう。zyesuta氏が「現実的」と対置している言葉も「理想主義」ではなく「非現実的」だ。
もし上記エントリで「非現実的」と批判している対象が特定個人であるならば、常にzyesuta氏が自身の現実性を標榜しているわけではないと擁護することも可能だったかもしれない。しかし実際には広く「戦後平和主義」や「旧社会党とその周辺人士」を指し、「非現実性が暴露」されたと評している。つまり、zyesuta氏が狭義の「リアリズム」にとどまらない自身の現実性を標榜し、「平和主義」に対する「非現実的」という認識が、ここで暴露されているわけだ。
zyesuta氏は指摘を受けて下記のように補足しているが、依然として具体性に欠けた「平和主義者」を指して「非現実的」と批判していることに変わりない。

本エントリーで「戦後平和主義」という言葉をえらく狭い意味で使っていますが、これはいい加減にすぎる用法でした。戦後平和主義といえばふつう吉田路線らも含み、戦後社会でのいわゆる「平和主義者」層と目される人々の考えに限ったものではありません。

もしもsaloth_sar氏の勧めた通り、zyesuta氏が自身への批判を避けようとして改めて狭義のリアリズムについて解説したならば、過去に自身で暴露した平和主義に対する認識と矛盾する姑息な釈明と、批判せざるをえなかったろう。
いずれにせよ、非現実性が暴露されたのは戦後平和主義ばかりではない。白燐弾の議論もその一例だ。


それでは白燐弾の話題に戻そう。saloth_sar氏は、先述したD_Amon氏のエントリに対しても、はてなブックマークコメントを残している。

saloth_sar メタ有
ブックマークを削除する コメントを編集する 以前も言った様な気がしますが、ブクマコメントの諸氏に置かれましては、使用方法に対する問題と、白燐弾自体の規制の問題とで論点が分かれていたことを心に留めておいた 2011/11/15

この論点整理については、ほぼ妥当と私も考える。もちろん「規制の問題」と一口にいっても、現行法で明らかに規制されているか、現行法で規制されるか賛否両論か、いずれ明確な規制をされるべきか、といったさらに多様な論点にわけられる。
たとえば、白燐弾は明確に規制されるべき化学兵器にあたると考えるべきではないか、という主張もある。これに対して、経済産業省の「化学兵器禁止条約に規定された表剤とその相互関係」*4という表に入っていないため化学兵器と定義されえないという反論も存在した。表の基になった「化学物質に関する附属書」*5に「これらの表は、第二条1(a)に規定する化学兵器の定義を構成するものではない」と記載されていることをscopedog氏が指摘して定義的な反論は下火になるかと思ったが、saloth_sar氏は下記のような論理で化学兵器ではないという主張を維持しようとした。
saloth_sar氏(61氏)のコメントに対する反論 - 誰かの妄想・はてなブログ版

表を見れば判ると思うが、ここに記されているものは、これまでに戦争で使用された、あるいは実戦で使用される可能性が大いにある主要な化合物を大体網羅してある。そしてその中に、100年以上前から軍事利用されてきた白リン及びそれから発生する5酸化2リンが含まれていないのは何故なんだ?白リン及び5酸化2リンの化学的特性がここ最近で明らかになったとかそういう話ならば話は判るが、当たり前だが事実は異なる。

全て網羅ではなく「大体網羅」にすぎない時点で、かなり反論としては弱かった。saloth_sar氏は、国際社会において化学兵器と見なされていない現状を追認したいといった主張にとどまり、今後に化学兵器として見なされうることを否定できなかったようだ*6
scopedog氏と議論したsaloth_sar氏は、やがて下記コメントのような主張に立ち返ることとなった*7
saloth_sar氏(61氏)のコメントに対する反論4・頻度ねぇ・・・ - 誰かの妄想・はてなブログ版

そもそも白リン弾より(開発経緯などから)よほど化学兵器に近いナパームが化学兵器として見なされていない(1968年の生物化学兵器に関するロンドン会議でも、ナパームのような焼夷兵器と化学兵器は区別して論ずるべきであるとされた)辺りを良く認識すべき話なんだけど。

しかし兵器に限らず、規制というものは、必ずしも規制対象の問題性に比例しているわけではない*8。過去や現在に規制されていないことを規制されるべきでない根拠にするのは、転倒した論理だ。現状追認でしかない転倒した論理を用いる限り、社会はゆっくり進歩することすらできなくなる。


現行法で明確に白燐弾自体が規制されているとはいえないだろう。しかし、使用法を見る限り抵触する兵器であるという意見に一定の妥当性があると私は思う。
そして、いずれ明確に強く規制すべき兵器であるという考えを私は選ぶ。たとえ現在は抵触すらしないという主張が優勢であったとしても、この考えを変える必要はない。そしてこの考えは、いずれ戦争全体が大きく制約されるべきという考えとも矛盾しないのだ。
坂口安吾 もう軍備はいらない

 我々の未来が過去の歴史や過去の英雄から抜けだすことはありうるものだ。食うものを食わずにダンビラを買い集めて朝夕せッせととぎすましたり原子バクダンを穴倉にためこむような人々を羨む必要はないじゃないか。何百万何千万人の兄弟を殺したあげくにようやく戦争に勝ったというようなことが本当の勝利であろうか。

*1:私がtwitter上のやりとりをエントリにまとめたことがきっかけの一つになった様子。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20111110/1320875164

*2:それにしても、白燐弾の被害を写真で見てなお、「はてさ」の責任へ還元しようとする態度に驚かされる。「ネチネチ」追求しなければ被害が存在しなかったとでも思っているのだろうか。対人地雷禁止がなければ「笑ってスルー」できる話題という認識にいたっては、いっそ興味深い。

*3:それにしても、「自民党の凋落にともなって旧社会党の政党・政治家が実際の政策におよぼす影響が強まる」という現代史認識は、90年代当時を肌で知らないのだろうかと首をかしげる土井たか子委員長就任による参院選躍進は80年代のこと。一方で90年代初頭からは、新党ブームという事実上の自民党分裂によって議席を減らした。連立政権にからむことで与党になれたものの、旧社会党の影響力が増したととらえるのは単純にすぎるだろう。

*4:http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/cwc/hyozai.html

*5:http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/mt/19930113.T2J.html

*6:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20090121/1232553806へ書き込まれたコメントから「そのコンセンサスを変えるために主張するのは結構だが、自分は反対するし、また現状では看做されていないということが変わるわけでもない。」という部分がscopedog氏に引用され、真意を問われてている。コメント欄での返答を見ると、化学兵器と見なすことに反対する動機は、「代替兵器の開発・調達や現有リン弾の処分が必要になる」ため「財政難に苦しんでいる自衛隊」に「余計な費用」がかかるからという主張が第一にあり、他には他の煙幕も使用できなくなるという懸念もあったらしい。ただし、より安全な煙幕は現実に存在する。scopedog氏が確認したところでも、自衛隊総合火力演習においては数年前から煙幕に赤燐弾を使用しているとのこと。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20090914/1252948704

*7:現在のsaloth_sar氏が持っている白燐弾被害に対する認識は見つけられなかった。さすがにscopedog氏と議論していた認識に今もとどまっているとは思えないが。

*8:そもそも、焼夷兵器と見なされたナパームも、現在は残虐性が批判されたため米軍は使用を止めているはずだ。