法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ニコニコ動画の配信アニメで「ネタバレ」とコメントする人は何なのだろう

基本的にコメント非表示で見ているが、たまに気にかかることがある。


素で真相をコメントで明かす人は、ネタバレを嫌う人がいることが意識できていないだけだから、理解はできる。ネタバレが嫌われることを忘れているどころか、嫌う思想の存在自体を認識していない人もいるのだ。たまに多人数で映画を見ると、視聴する最中に先の展開を聞いてくる人がいたりする。
また、嫌う人がいることを理解した上で、ネタバレをコメントする人も、哀しい趣味だとは思うが、批判してもしかたない。問題にするならば、嫌がらせをやりたいという心理そのものだし、対処は容易だろう。


しかし、主題歌の歌詞や、OPやEDの映像に対して、ネタバレとコメントする人は、自分が何をしているのか理解できないのだろうか。
主題化の歌詞や、OPやEDの映像は、どのような意味があるのか一見すると理解できない。ただの映像や言葉の美しさを優先しただけかもしれないし、イメージカットにすぎないかもしれない。本編でも、回想や夢といった特殊な状況で時系列をずらせば、意味を予想できず謎となる。


たとえ話をしよう。人間が空を飛べるはずもない日常を舞台としたアニメでも、OPのイメージカットでキャラクターの飛ぶ姿を描くことは、かなりよくある演出だ。
しかし、日常を発端としながら徐々にファンタジーへ移行することを隠しているアニメにおいて、OPで人間が飛んでいる場面に対しネタバレとコメントすれば、日常がやがて非日常に変わると明かしてしまうようなものだ。ネタバレとコメントしなければ、多くの者がイメージカットと解釈して、本編に同じ映像が出てくるとは予想できないだろうに。
同様に、さりげない伏線として描かれた場面に、「伏線」とコメントで指摘することも、一種のネタバレになりかねない。巧みに隠された伏線の存在を指摘することは、作品への賞賛ともなりうるので、この場合は個々人の判断が微妙だろうが。